2011年6月23日木曜日

短文「停滞の日」

 怠惰とは違う停滞を味わいながら、人に文句の云われない程度の酒をたしなんでいた。酒の表面にほこりのように積もるそれのせいで中々呑みこめない、そんな日だった。普段は氷を入れるグラスもその日は入れず、とろとろとした温みを含んだ液体を胃に流しこもうとすると、粘り気のあるみたいに入っていかない。それもこれもこの停滞のせい、すべてはそう……、とその時は考えていた。 

 苦しい、と云う訳ではなく、ただ、ただ、何もない、本当に、と自問しても、返ってくるのは、本当に。自分の心がそう思っているのだ、いくら聞いても答えは同じに決まっている、変化のない自分と自分の問答、はなから質問なんてこれしかない、本当に。 

 もうたいくつかすらも分からない。全てのことから自分を切り離して、残るものが自分ではなく、たいくつであるなら、自分こそがたいくつなのだから、たいくつを感じると云うのは、自分を感じることであり、結局たいくつが自分であり続ける以上、そこにあるたいくつは自分。手にもったグラスも、中にある酒も、たいくつであり、自分だ。そんな考えがぐるりぐるりとまわった。