2013年3月26日火曜日

ロベルト・ヴァルザーの詩 「雪」


カフカや、現代の数多くの作家が愛するスイスの作家ロベルト・ヴァルザー。 
読んでみて思ったのは、もしかしたらカフカより好きかもしれない、という期待。 
カフカはあまりに自分と同化してしまいその姿を見ることができない、いわば僕の目がカフカの目であるよう。 
それに比べてヴァルザーは確かにそこにいる、その姿を見ることができる。 



 「雪」 

 雪がふる、雪がふる、大地を覆ふ 
 白い苦しみを伴つて、ずつと遠く、遠くまで。 

 痛みに空からひらひらと落ちる、 
 綿のやうなもの、雪だ、雪だ。 

 それが君にくれるのは、あゝ、ひとつの安らぎ、ひとつの広がり、 
 雪に埋もれた世界がぼくを弱くさせる。 

 だからこそ最初は小さかつたのに、段々大きくなる憧れが 
 涙を求めてぼくの中へと押し入つてくる。 


2013年3月16日土曜日

(僕は教養主義者でも、原理主義者でも無いが……)


 僕は教養主義者でも、原理主義者でも無いが、いわゆる「古典」というものを大事にする人間だという自覚はある。だからこそ、小説は自分が好きなものだけ読めば良いじゃ無いか、絵や映画も好きなものを観れば良いじゃ無いかと思っているのに出会うと、なんだかなあ、と思う。それは、あまりに自分がそれを好きだということに無自覚だし、あえて人が良いと思うものごとを避けて自分を自分たらしめたいだけではないかと考えてしまう。簡単に言えば、自分が自分である、ということをそうした小説や絵や映画なんかを使って証明したいだけなのであって、実はそれらのものに対して感じることも少ないのでは無いかと疑ってしまう。ただ、大体においてこの疑いが晴れることは無いのだけれど。

 日本にいて、特に原書で本を読もうとしないのであれば、そうした自分づくりは大したことがないんじゃないだろうか。どんな本でも、翻訳を読むと云うことは、すでに認められたものを読むことであり、誰かの目や耳や手を通しているのだから、それでいくら自分づくりをしたって、ぼろぼろくずれる砂の自分にしかならない。
 原書を読めというのではなく、自分づくりに利用するなということ。
 日本の批評、批評と大層な名前を付けなくても何かを評価することに今ではいつでも誰かのものに触れている。それは140文字であったり、ホームページの一コンテンツを成り立たせるくらいであったり様々だけれども、amazonのレビューでも良い、見て思うのは、「好き嫌い」以上のことが書かれていないこと、特に「嫌い」はただの「嫌い」以上を伝えてこないことだ。
 他の国でもそうなのかもしれない、日本だけと云う風に見るのは早急だろうが、もしこれが世界的な現象なら、なんと言葉の貧相で、貧弱で、血の通わない、文章しか無いのだろう。
 「古典」を読まないというのはそういう文章で満足することだ。
 語るだけ語り、何も受け取らないのであれば、その言葉は栄養失調なのだ。だけどそれすら気付いていない、言語の拒食症に陥っている人々は言葉を消化できず、詰め込んで吐いている。そう、ただ吐き出している。つまり嘔吐物をまき散らされて、さらに人々はその嘔吐物を食らい、また嘔吐する、そんな言葉の吐瀉に晒されてなお平気でいる神経が出来上がってしまっているのだ。
 つまり、消化した残りかすでもない。糞便ですらない。

 そんなスカトロジーが御免である私が目指すものは、カニバリズムなのでしょう。異常であることに変わりはないのだけれど。
 言葉のカニバリズムに快楽を覚える必要がある。

2013年3月10日日曜日

カフカの翻訳







 久しぶりの翻訳。本当は「ポセイドンは事務机に座り……」を訳したけれど、もう少し「配置をただしたい」。 
 というわけで、フィッシャーから出ている「批判版作品集」の「遺稿」で一番始めに載っているものを。 





 行き来がある。  別れがあるが、再会は、いつも無い。  プラハ、霜月20日。 フランツ・カフカ

2013年3月7日木曜日

珈琲賛歌


珈琲賛歌


 さて、皆さんもご存じの通り(と云って知っている人などそうそういませんが)、イタリアの家庭には必ずと云って良いほど直火式のエスプレッソマシーンが置いてあり、その八割は髭のひょろっとしたおじさんが目印の「ビアレッティ」です。

 ここからはトリヴィアルな話になりますが、そもそも直火式にはエスプレッソと名前が付いているものの、機械式と比べて気圧が低く出来上がったものは味も香りも違うんですね。
 ヨーロッパでは機械式で作ったものを「エスプレッソ」、直火式で作ったものを「モカ」と呼ぶそうなんですが、そんな違いはあれどヨーロッパ、殊にイタリアではこうした濃い珈琲が親しまれています。

 そんな中、ビアレッティが何とか直火式で「エスプレッソ」に近づけようと作ったのが「ブリッカ」というエスプレッソマシーンです。

 まだ、直輸入されていない商品なので店頭などでは見かけないかもしれませんが、amazonなのでは買うことが出来ます。

 で、これ、前のマシーンと何が違うかというと、珈琲の噴出口に重しを付けることで中の気圧をあげ、より高い気圧で珈琲を出すことが出来るようになっているのです。
 うまく煎れれば、クレマ(細かい泡が浮ぶ、スターバックスのようなエスプレッソ風ではお目にかかれませんが)もできるという画期的な一品。


 なのですが、未だに上手く出来ない。
 ちゃんと出来ることは多くYouTubeなどで動画があがっているので出来るはずなんですけどね。


 それでも、出来上がった珈琲は今までと比べてこってり濃厚(珈琲にその表現はどうかと思うが)で、エスプレッソにより近い味わいになっています。

 機械式は場所をとりますし、良いものは値段も高い。
 このブリッカ、たしかに普通の珈琲器具に比べると値段は割高ですが、持っていて損のない一品だと思います。
 ぜひ一家に一台、いかがでしょう?

 こういうのって、いまダイレクト・マーケティングっていうんですかね。

 ちなみに、エスプレッソはデミタスカップという小さなカップで飲んだ方がいいです。
 あまりがぶがぶと飲むものではなく。
 少量に砂糖を三杯くらいいれて、ちびちびのみ、沈んだ砂糖をスプーンですくって食べるのが、本場の作法です。
 勉強になりましたか?

2013年3月4日月曜日

日常をレトリークすること。


 誇張すること。昔の中国を想起するほどに。

 運動の誇張、私は歩き続けているうちに、一歩は道を跨ぎ横切るほど大きくなる。

 時間の誇張、昼夜三百、水とりんごのみで生きた。

 視線の誇張、余りに近づきすぎてその人の鼻に空いている毛穴に詰まった脂が揺れるのが見える。

 誇張することは、何も見えなくするのだろうかと思ったりしながら、それの方が真実を表している気がする。真実というものがあるものかとつばを散らしてくるものを追い払う。

 見てないものをわざわざ見たふりをして書くよりも、見たものを見たのだと強調するの方がいいんじゃないかと思うので、そうしている。

2013年3月2日土曜日

最終講義を聴きに行く。


 教授の定年が早まり、今年64歳なのですが野家先生が本年度で退官ということで、最終講義を聴いてきました。学生の時に基礎講義を聴いただけである自分が潜り込むように講義室に入ると、今までの教え子なのでしょう教授クラスの御仁がみな受講席に座り、教卓を前にしていまかいまかと云う感じで待っている。なかなか学生さんの姿が見えないのは残念でなりませんが、きっとお手伝いなどをされているからだったのでしょう。 
 まあ、いてくれなかったせいで場違い観が半端なかったなんて不平はいいませんよ、私は。
 さて、 

 タイトルは「無題(untitled)」 

 ということで、何もテーマを決めずに話すのかと思っていたら、なんと、「無題」であることをテーマにしたというこの感じ、最初っからやってくれます。 

 本人としては三題噺を想定していたようなのですが、時間の都合上、 

 1,無-主題論 
 2,無-主語論 

 の二つを講義されました。(残る一つは「無-主体論」でこれは別の場所ですでに講演した内容と重なるため、というのも今回話さなかった理由だそうです) 

 内容は、本当に簡単に言うと。 
 1,私たちはある芸術作品に向きあう時、「題名」を知らず知らずのうちに欲していて(「題名」を持たないものに不安を覚えて)、その「題名」のために解釈を狭めている/強制されている。
 ここには「主語と述語」の関係があり、作品と題名は「問いと答え」の関係にあたる。 
 しかし「無題」であること(これは別に題名が無いだけでなく、無題性、つまり番号だけのもの、宮沢賢治の「作品第1042番」、「シャネル No.5」という香水、と云ったものも含まれる)は、私たちが作品へと近づく時に「謎」を持たせる。つまり「問いと答え」の逆転がそこにあり、さらにはそうした「主語と述語」という関係性そのものを疑う立場へともたらすのである。 

 2,1のような考えを経て、そもそも主語と述語という関係は西洋哲学において存在論が前提としているものであった。「無題」であるということはこの主語と述語という関係に揺さぶりをかけるのであり、つまりそれは存在論への揺さぶりにも繋がるのである。 
 そもそも存在とは何か、その問いは分析哲学でも広く行われており、二極化されている。つまり、なるべく存在であるものを狭めようとするデフレ的存在論(自然科学における唯物的な考え方)、反対により積極的に存在するとよべるものを増やそうとするインフレ的存在論(プラトニズムなど)、この二つである。 
 しかしこの二つの存在論の間を考えてみたい。 
 日本語には主語が無い(三上章の有名な本「象は鼻が長い」に言及)という主張がある。この考えはラッセルの考えにつながる。 
 ラッセルとクワイン、クリプキなどの考えはそれぞれに興味深いがフィクショナルな存在や仮定の中の存在(鼻の低いクレオパトラ)を問題にする時論理の破綻が起こってしまう。 
 こうしたなか「物語り論」的な観点で存在論を見るとどうなるだろう。(「物語り」については野家啓一「物語の哲学」を参考にして下さい) 
 存在というものは科学理論さえも含むあらゆる「物語り」の中で語られるのであり、その中で初めて「シャーロック・ホームズ」や「鼻の低いクレオパトラ」について語る事ができるのではないか。 
 その時存在は「濃度」をもっている。 

 うーん、1の主張はわかりやすいけれど、2は分析哲学の知識が入ってくるので途端に説明が上手く出来なくなる。ちゃんと読もうと思いました。

 ちなみにそのあとディスカッションもしていたのですが、途中で抜けてきてしまいました。 

 野家先生というと、専門は科学哲学と分析哲学の二つを思い浮かべますが、現代哲学全般に詳しい方だと思ってました。 
 その時は、自分もなかなか知識が足りず理解力もなかったので話が掴みづらく付いていくのがやっと、時々負けて舟をこいでしまったこともありました。それから5年以上が経っていますし、自分もそれなりに知識の蓄えが増えてきたので、今回はどうかなという、気持でした。
 結果は、以前よりかは呑みこめたけれども、それについて疑問を突きつける確証が自分にはないなあと云う印象。でも、もし質問を促されたなら、カフカの遺稿と繋げてすこし聞いてみたいなあと思ったりしました。

 たとえば、カフカの遺稿はほとんど題名が付けられておらず、中には題名を付けることでそのおもしろさが半減してしまうものもあるように思われる。 

 ブロートはある遺稿に「橋」というタイトルを付けた。 
 しかし、カフカの文章の書き出し「身が縮み上がり、寒い。」という感覚の描写から、急に「私は橋だった。」という流れに持っていく意外性は、「橋」というタイトルのせいで半減してしまうのではないか、と思う。 
 つまり、「橋」というタイトルによって、私たちは読む前に準備されてしまうのを感じます。という、感想は出てくるんですが、そこからさらに問いに発展できない。これが僕の悪い癖(どこかの杉下さん風に)。

2013年3月1日金曜日

「橋」について



 訳し終わってしばらくたつが、色々と思うに「橋」のichは男性でいいのかもしれないと考える。
 その理由は簡単で、カフカが女によって語ることはしないだろう、と思うからだ。
 今まで見てきた中で、カフカが女性を語り手に選んだものを見たことがないから。

 でも、よく考えて見れば、それはカフカが女性を語り手にするわけがないと、訳者が考えているために、すべての語り手は男であるとして訳されているのかもしれない。


 ただ、日記を読んで、自身のことと、創作が入り乱れている様子を目の当たりにしてしまうと、やはり男と思っていた方がカフカに沿うのではないかと思う。


 そもそも私が誰かなどとはカフカは思わずにichを書いていたのだろうけれども。

カフカの翻訳「中庭の門を叩く」修正


 すこし訳を変えました。
 正しくしたというより、あるべき位置に戻したという感覚です。



 夏の、或る暑い日のことである。私は帰路、妹とともに中庭の門を通り過ぎた。知らなかったのだが、妹は何かの気まぐれ、もしくは不注意で門を叩いたか、叩きはしなくとも拳で脅したかしたらしい。百歩ほど離れたところに、左の方へと行く道があり、それに沿いながら村が始まっている。私たちがどうしようもない内に、いちばん手前の家から人々がやって来て何かしらを伝えようとしていたのだが、その様子は親切ではあるが警戒しており、彼ら自身驚いていて、その驚きに屈服しているようであった。彼らは、私たちがそばを通り過ぎてきた中庭を指さし、中庭の門を叩いたことを思い出させた。中庭の所有者が告訴し、すぐにでも調査を始めるだろう。そんなことは意に介さず、私は妹をなだめた。妹はけして叩いていないだろうし、例え叩いていたとしても、世界中のどこでだってそんなことで訴訟が起こるわけがないのだ。私は人々に自分たちのことを説明しようとした。彼らは話に耳を傾けてくれたが、判断するのは差し控えていた。その後彼らが云うには、妹だけでなく、私もその兄弟として告発されることになるだろう、とのことだ。それに笑って頷く。私たちは皆振り返った。それは遠くの煙に気づいたので、さらに炎も待っているかのようだった。実際に、しばらくして私たちは騎士が開かれている幅の広い門の中へ入って行くのを見たのである。埃が舞い上がり、全てを覆い尽くすなか、ただ槍の先だけが輝いていた。そしてその一隊が中庭に姿を隠したかと思うと、彼らは直ちに馬の向きを変えたらしく、いまや道の上で私たちと対峙している。私は妹を押しやる。ここは私が一人で全てをかたづけるつもりであった。妹は、私を一人残していくことを拒んだ。私は云った、ならばせめて着替えてこい、もっと良い服を着て殿方の前に出るために。ようやく妹は納得し、家への長い道のりを走って行った。すでに騎士は私のそばにおり、馬上から妹のことを尋ねた。不安げに、今はいない、が後で戻ってくる、と答えた。答えなどどうでも良いことのようだ、なにより大事なのは、私を見つけたということなのだろう。そこには主立った人間として二人の紳士がいた。裁判官である若い快活な男と、物静かな助手で、助手の方はアスマンという名であった。私は農家の一室へ入るよう命じられた。ゆっくりと、頭を揺らしながら、ズボン吊りをぐいとひっぱり、私は自分の身をその紳士の鋭い視線の下へ送るのだった。都会人である私がその信用を楯にとり農民たちから自由になるには一言で足りるだろうと、私は未だに信じていた。しかし私が部屋の敷居をまたいだとき、裁判官は飛び跳ねて私の前に立ちはだかり云った。「この男にも困ったものだ。」彼が私の今の状態ではなく、私にこれから起こるであろうことについて考えていることは疑いようがなかった。部屋は農家の一室というよりは刑務所の独房というに相応しかった。大きな石のタイル、よどんだ灰色の、飾りのない壁、そこには鉄の輪がはめこんで吊るしてあり、部屋の中央にあるものはなんとなく、板張りの寝台にも、手術台にも見える。

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 いったい私が刑務所の空気とは別の空気を味わう日など来るのだろうか。これは重要な問題だ。だが多分、私が釈放されるんじゃないかという望みをもっていつづけたなら、それが重要な問題であり続けるのだろう。