2011年2月25日金曜日

荒川古里語事

 知る人は知るが私は福井県の生まれである。 
 人は己の生まれる時と場所を選べない。この命題は私にとってあまり重要ではなく、不満は感じることもあるが、相補うほどの満足も得ている。 
 福井県は人口少ないところで、閑散としている。私の生まれた場所は県庁所在地から見てベッドタウンと呼ばれたりもしているが、平日ならば昼に町中を歩いても人はおろか車ともすれ違わないことも多々あるような、そんな場所だ。私が高校の頃は家の裏は広く水田になっており、冬に雪が積もると、ただ白い床が広がっていた。たまに夜中、窓を開けてみると、静かに冷えた空気が耳を切るように感じる。そしてどこか奥の方、それは向こう側なのか、それとも身体の中からか知らないが、しー、と金属を擦るような音が聞こえる。月明かりだけの空間を一気に肺に溜めるとき、私は生きているのだ、と感じたものだ。 
 そんな家の裏にも北東の方に小学校が出来てしまった。もうあの空気を楽しめないのである。 
 福井県を知る人は少ない。ぴんと来ない場所であるらしい。 
 私も何か福井県の事を友人に語ろうとすると、何を語ればいいのか分からなくなる。なにも語るべき所がないのである。 
 つまらないところだと思う。閉じたところだと思う。私はあそこに住むのはうんざりしてしまっている。だから、帰ろうとはあまり思わない。 
 私にとって、場所に意味はない。そこにいる人が大事だと、しみじみ思う。なので、人を失った場所にはあまり興味は無いのだ。 
 私が県とつながりを持っているのは、家族がいる、ただそれのみであり、それ以上の理由などない。だから、もし家族の全てがいなくなった福井県に行きたいとはまったく思わない。友人は、と聞く人がいるだろうが、私は福井県に友人を持たない。いや、一人いる。誕生日を互いに祝う。あの友人のために帰るのならばそれも良いと思える。私は、しかし、それ以外の人はいない。 
 そんな、福井県のことを書いた文章も少ない。確かに、少なからず作家を輩出するわが県には小説の舞台となっている場所がある。しかし、それも嶺南と呼ばれる南の地域のことばかりで、苓北である私の地方のことを書いているのはあえて知る人を上げれば、水上勉、中野重治、そして最近の舞上王太郎か。しかし、だれも私の生まれた場所、よく知る場所からは少しだけ遠い。 
 なので、まるで地域というものに興味を持たずに文章というものを読んできた。 
 荒川洋治の「黙読の山」を読む前もまるでそんなことを考えたことは無かった。 
 しかし、途中私は非常に慣れ親しんだ地名を見つけてしまったのだ。 
 「可能性」という短文は切符を手元に残す話だ。 

  * 

 都内から福井に帰省するとき、下車駅はAなので、ぼくはAまでの乗車券を買う。いつもいつも、Aではつまらない。楽しみがない。それでひところからAの一つ先の駅の細呂木、あるいはさらにその一つ先、牛ノ谷までの切符を買うことにした。A駅で降りるときに、途中下車のハンコを押してもらい、切符を残すことにしたのだ。二つ先までの切符にしても運賃は変わらないからだ。細呂木、牛ノ谷にぼくは一度も降りたことはないが(無人駅か乗降客の少ないさみしい駅だろうと思う)、それらの切符にすると気分がいい。新しい世界へ、おもむくような気持ちになる。 

  * 

 荒川は福井出身の詩人、私は彼の詩を読んだことは無いけれど、保坂か高橋のどちらかが彼のことを書いていたのを覚えている。確か高橋だったと思う。私の母方の実家は細呂木にある。駅の目の前で煙草とクリーニングを生業にしている。このように書くと、なんだか妙な組み合わせだと感じた。 
 荒川自身は、細呂木を降りないようだ。彼の言うとおり、細呂木は無人駅で無賃乗車も出来てしまうような駅だが、誰もそれをしない。人が金に五月蠅いのである。 
 そういえば、最近駅から少し南へ行ったところでよくカメラをもった人々を見かける。俗に言う、鉄っちゃんと呼ばれる人々で、電車の写真を撮っているらしい。母に聞いたら、なにやら写真の大会があり、そこで最優秀に選ばれたのがその場所から撮った写真だったそうだ。その写真が最優秀であったのは、その瞬間を切り取ったからであり、そこから撮れば必ず良い写真が撮れるというのでもないだろう、と思ったが彼らの勝手なのだから口を出す必要はない。 
 その話はともかく、私は初めて本を読んで、近さを覚えた。こうした気分になるのは今度いつになるのか。私の今住むところは、残念ながら文学的でない場所だと思うから、きっとこの先もう無いかもしれないと感じた。 

2011年2月11日金曜日

朝吹真理子『きことわ』

 言葉を鑿に、言葉を鎚にして、世界を削る。できあがった一つの像よりも、当たりに散らばる屑に、私は酔った気分になる。 
 小説の言葉とはそういうものだと思う。飛び散っていったもの、はらはらこぼれ落ちるもの、それを拾い上げ、すくい上げ、ふっと息を吹きかけ、飛び散っていくのを眺める。それが小説だ。 

 朝吹真理子は二冊目、といっても現在単行本はこの二冊しかないのだが。 
 この人の作品を読むと言葉の選ばれかたにどきりとする。この感覚は、最初期のよしもとばななの時にも感じた。詩的人間の香りがする。散文人間にはどうしてもたどりつかないものだ。 

 いまどきのはやりはあくまで散文人間の作品であるなか、ここまで詩的人間の作品を堪能出来るのは嬉しい。 
 私はほんらい詩的人間だと思うのだけれど、散文に毒されているため、どうしても言葉が繋がらない。そういうときに、読むのが高橋源一郎である。しかし、かれはあまりに詩的すぎるため、ひょっとすると、詩的人間として詩に死にたくなるほど毒されてしまう可能性がある。つまり、小説が書けず、そこに詩ができあがる。 
 詩的人間が詩を書かずに、小説を書くことの難しさはそこにある。 
 朝吹という人の作品にその完遂をみることで、私の心はとても羨ましいという思いが満たしていく。 
 私にはできないが口癖の私にどこまで小説が書けるのかしらない。 
 それでも、私しかできないを見つけようとあばれまわってみる。 

 たとえば、後ろ髪を惹かれる思いを書いた小説は山ほどあるけれども、本当に後ろ髪を引かれる小説はこれしかない(これは山田詠美も言っている)。 
 これはカフカ風な雰囲気である。そして、それはすでにメタファーを超えている。メタ・メタファーであり、めためたな言葉なのである。以前、後輩達のカフカ風散文作品を見ていた中にあった、死因はエコノミー症候群と同じくらい、メタ・メタファーを味わえる機会はそうそうにない。 
 私自身はこうした言葉に疎い。詩的人間としてそれはちょっとした欠陥である。 
 しかし、しかしと逆接をつかって反論したい。 
 詩的にもいろいろあって、私の詩的言語はむしろそうした鑿や鎚の鋭さによって生み出される美しい屑ではなく、甘さによって世界に生じるささくれを目指したい。 
 そう、言語とは鑿や鎚であると同時に、屑やささくれなのだ。