2012年10月26日金曜日

最近の読書。技術の本と冬の犬、あとは怪談。



一週間で二冊本を読んだ。
遅読な自分としては速いペースだ。

二つの「技術」について。
石黒圭の「読む技術」と高田明典の「コミュニケーションを学ぶ」。

ペースが速かったのは、多分自分の中で「分かる」という感じが強かったからだろう。それが言語化されているという気分で読んだ。

 「読む技術」の方は、「読む」という時に使われている技術について書いてある、まあ、そのままですな。速読と精読の他に「味読(まいどく)」を加えた三種類の読み方を教えている。
 良い意味でも悪い意味でも「教科書的」ですが、主張は正しいと思います。
 つまり、「書く」や「話す」にも技術があるように、「読む」にも技術があるということ。
 「聞く」に関していえば、一番の教科書はミヒャエル・エンデの「モモ」だ。
 それに対して、「読む」という技術を教えてくれる本はなかなか無い、というのも速読しか教科書として無い。
 そんな中、良いのは松岡正剛の「読書術」なのだけれど、どうしても頭に「私の」という言葉がつく。だから、一般的な「技術」として語られた本はこの本くらいかもしれない。

 こういう技術系の本は概して「そんなことを考えず、ただ読め!」という意見に気圧されがちだけれど、僕はそう思わない。それはコミュニケーションにもいえて、もう一つのほうでも言うけれど。
 やはり「スキル」はスキルとして大事なのです。
 なぜなら、僕たちの大半は天才じゃないから。ほとんどは凡才、よくて秀才なんです。だからこそ技術は習う必要があるし、学ぶ必要がある。

 ただ漫然と読むよりも、こうした型を知った方が読みの角度が増える。
 垂直的にしかよんでこなかったものを、45°の角度で見てたり、或いは10°の角度で読む、そうした読みの多さを持つことは、畢竟、自分を多くすることだと思うんです。

 それはバフチンの「多声性」やブーバーの「我-汝」にも繋がる。
(これらは「コミュニケーションを学ぶ」に出てきたのは内緒)

 続けて「コミュニケーション技術」を読んだのが良かったのかもしれない。
 繋がるところが多かったし、自分は意図せずやっているものを意識化できたから(もちろん、意識化が全て良いわけじゃない、歩くことを意識すると途端にぎこちなくなることがあるように、スムーズにいってたものがきゅうにがくがくする、まあ「意識化」というのは概してそんなモノだと思う)。

 話がそれるけれども、ちくまプリマー新書は良い。
 高校生向け、すこし背伸びした中学生向けのこの新書は大事なエッセンスを語りかけるような言葉が選ばれていて、入門書としては大人が読んでも良い。入門書嫌いな人には多分、入門書自体の意義を否定するかもしれないが、ぼくとしては入門書などは「アタリを付ける」ものだと思う。絵で言うなら、最初から絵そのものを書くんじゃなくて、どこに何を書くかを大まかに決めるような。入門書を読むのは、そうした「アタリの付け」方を学ぶことだと思う。何度もそういうモノを自己流でやってれば自然と覚えるさ、という人は器用なのだろう、ぼくは不器用なので出来ない、だから学ぶ。

 「コミュニケーションを学ぶ」を書いた高田明典にはもう一冊「現代思想のコミュニケーション的転回」という本がある。「学ぶ」はこの「転回」をぎゅっと凝縮した感じのある本で、所々で「うーん、そう云うにはちょっと言葉が足りなく無いかなあ」と思えるところが多いけれど、「コミュニケーション学」に対して「アタリを付ける」には十分な本だと思う。
 特に、防衛的や敵対的なコミュニケーションの方法は、コミュニケーション=自分の言いたいことを的確に伝えるという風に考えている人には良い打点になるんじゃないだろうか。

 余談だけれど、読んでいて、ああ、自分はずっと「コミュニケーション」について考えてるんだなあとしみじみ思った。


 最後に小説について。
 今よんでいるのはアリステア・マクラウドというカナダの作家が書いた「冬の犬」という短篇集。この人はもう80近いんだけど、20に満たない作品しかない(しかもほぼ短篇)、超が付くほど寡作の作家。ただひとつひとつのクオリティがすごくて、読んでいると「ああ、小説ってこういうのを言うんだ」と思える。おすすめします。
 一方読んでいるのが、岡本綺堂の作品、和製ホームズ第1号と言われる「半七捕物帳」の作者。中公文庫で読物集がでてたので買ってみたら、今まで読まなかったことを後悔しました。文章が良い。明治の作家で今も読むに耐えられる作家って、実は漱石じゃなくて綺堂じゃないかしら。綺堂の作品を読むと、漱石の文体はやっぱり明治だって思えてくる。実は鴎外や綺堂の方が文章的には漱石よりも現代に通じるものがあると考えます。

2012年10月14日日曜日

丸谷才一さんを偲んで


 ノーベル文学賞が中国作家の莫言さんが受賞することになって、ああ今年も村上さんがとれなかったなあ、とおもいながら大学の私の先生にこの話をすると、ハルキがとったらノーベル賞は終わりだと、言われてしまい、何となく反論しようと思ったがそれほど本を読んでいなかったので出来ずじまいにいて、その中の大衆作家という言葉をずっと考えいたけれどそれも忘れかけたころ、丸谷さんが死んだことを知った。

 もちろん、一般人である自分は丸谷さんとは面識もなく、ただ本で知っているだけなのだけれど、やっぱり丸谷さんは「丸谷さん」と呼びたくなる。他の作家は呼び捨てにしてしまいがちだけど、丸谷さんのことを語るときはなんとなく背筋が伸びて丸谷さんと呼びたくなる。
 それは、何より丸谷さんが自分の文章を育ててくれた、という気持があるからだ。もちろん、本人は知るよしもないけど。
 大学に入ってまもなくの頃、丸谷才一という作家の名前を知ったのは何故だったか、いまではもう分からなくなってしまった。たしかエッセイを読んだからだろうか、それとも「文章読本」を読んだのが先だったろうか、曖昧になってしまうくらいに、最初の本との出会いは溶けてしまっている。ただ、この人の本を読んだときに、この人の文章をまねたいと思ったのだけは覚えている。別にまねなくても良いのに、旧仮名遣いまでまねして書いて、今でも手書きするときはプライヴェートなものは旧仮名で書いている。僕の文章の師匠、それが丸谷さんだった。
 大学に入るまでろくに本も読まないで、国語の成績も中の下、古典文法や漢文法なんてさっぱりだったのに、国語の先生になりたいと思ったのも丸谷さんの本を読んだからかもしれない。日本語が好きになったからだ。それまで、日本語のおもしろさが分からなかった自分が、そのおもしろさ、さらには言葉というもののおもしろさに気付かされたのだ。それが「文章読本」だった。小説を書こうとしていて、勉強のために読もうとしたのだと思う。たぶん小説を書くのに勉強をするだなんて、普通なら笑われるのだろう、ただ書けば良いんじゃないか、そういうのだろう。でも、自分にはそれが出来なくて、なにかこうよりどころが欲しかった、特に誰かが驚くような経験も特技もないつまらない自分でも、これだけは支えてくれるというものが欲しくて、それが言葉に対する真摯さというか、突き詰める態度、だった。
 どうしても、思った通りに書け、とか考えるな感じろという作家態度に慣れない自分が、ちよつと気取つて書け、という言葉を見たとき、目に刺さった氷の欠片が取れた気分になった。それからエッセイを読み、小説「草まくら」を読み、古本屋でエッセイを見つけると値札を見ずに籠に入れた。まあ、高くはなかったけど。
 丸谷さんの文章を見たあとでは、自分の文章のへたくそさにこんなものをよく平気で書いていたなと恥ずかしくなった。一文に掛ける時間が長くなった。原稿用紙10枚書くだけでもう気力を使い果たしてしまうくらいに言葉を考えた。今読み返してみても、あの時に書いた文章の方が上手い気がする。小説についてどう書いていけば良いかは、そこまで学ばなかったけれど、文章というものはどう書いていけば良いかを学んだのは丸谷さんからだ。

 なぜ冒頭に村上春樹の名前を挙げたか、それは丸谷さんは芥川賞の選考で唯一といっていいくらいに村上春樹を評価していたからだ。結局芥川賞は逃したけれど、世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドが谷崎賞をとったときも丸谷さんは選考委員だった。
 村上春樹も丸谷さんも、たしかに純文学とは言いがたいのかもしれない。それは、二人が日本の「純文学」という線の上からはいつも離れていたからで、だからといって「大衆文学」の椅子に安座していたというわけでもない。
 丸谷さんは純文学と大衆文学という区別に疑問をもった人だった。フランスやドイツという大陸系の小説から学ぶ作家が文壇を占めていた中で、丸谷さんは英文学から学んだ。よくよく考えると小説を英文学から学んだと発言している作家は少ない。英語圏は今ではアメリカにその株を奪われているのだし。英文学が良いという作家も、それはあくまで英文学も良い、であってそれが中心に来ることはない。そうやって言う自分だって、結局は英文学というものをほとんど読まない(一応シェイクスピアは大事にしてるけれど)。
 なんとなくだけれど、こうした英文学からの影響を受けた丸谷さんの小説は、日本の作家にとってはなんとなく相容れないものに見えるのだろうし、実際そう見ている人が多い。それは多分、日本人がこれが「文学」と読んでいるものに丸谷さんの小説(または村上春樹の小説)が馴染まないからじゃないだろうか。
 批評家が批評をしない今の日本の中で、本を読んでその本を語る数少ない人、そうした丸谷さんの本は、どれも暖かくて、批判にしても好き嫌いとはやはり次元が違うところに言葉があった。

 丸谷さんは自分にとって大学時代、会ってみたいお爺さんのうちの三人だった(のこり二人は白川静さんと松岡正剛さん、正剛さんは二人より年下でお爺さんに囲むのはどうかとは思うけど、白川静さんは2006年に亡くなった)。また、一人いなくなってしまった、と思った。もっと色々知って、それをぶつけてみたいと思ったのに。とろい自分がちょっと嫌になった。でも、こうやって言葉を書いていると、やっぱり丸谷さんから文章を学んだんだと思える。感謝しています。

2012年10月10日水曜日

短歌 七首


今君はゲッティンゲンにゐるのだと思つて何もないかべを見る

君のその鋭い八重歯に喉元を噛まれて死ねば楽になるのに

君に贈つた本や栞や言葉などすててしまつてかまはない

目はきつととらへはしない「裏切り」と貼られたみじめな顔出す人を

この歌を他の誰でもなくけして読まない人に贈ろうと思ふ

 和歌として詠みし二首

立ち別れし日にせなも見ず十三夜おぼろに乱る春ならなくに

雲居にもかよふ心は届かねど忘るな君と見し渡る月

2012年10月9日火曜日

短歌 七首





「君に冬が来ますね」と云ふ僕にまだ冬が来ないといふわけじやない 

カントさんの道徳論にしたがつて暮らしてみたら楽になつた 

一日がただ座るだけで過ぎること働くことつてこんなんだつけ 

自殺する夢を見たから許してよ死んでないけど死んだんだから 

積木のやう高くなるだけ不安定になる舞いあがつてばかりのこころ 

まみどりのがばりと樹々が覆ふ夏過ぎたら街が明るくなつた 

集団墓地を思い出す午の横断歩道待つ人々を見て 

苦しまぎれの言葉さへまた君を苛立たせてる それは知つてた