2012年11月7日水曜日

短歌六首



 ときどき短歌の限界を考えて見る。表現としての限界ではなく、短歌が短歌として成り立ちうる限界。
 たとえば、五七五七七を崩していき短歌とよべるぎりぎりを考える。
 そんな六首。



 私のとなりで眠る少年はやすやすと明日の私を殺すのだった

 唇の隙間から見える鋭い歯によつてのどもとを食いちぎれ食いちぎれ

 背丈の変はらぬ二人で並び歩きし橋の上鋭き風を身に受けつつ

 写真をとられるのをあれだけ嫌がつてゐた君の顔を写したものは一枚もない

 来年の干支が何か分からないので年賀状の送り送られが無いのに気付く

 肺碧き少年ルナアルの左目を触る彼の指は確かに優しげだつた

2012年11月1日木曜日

作品は読者のモノ?


※海猿の作者佐藤秀峰さんに対して「売ってもらったクセに思い上がるな!」といったバッシングがTwitterでなされているそうです。詳しくはニュースを見て下さい。



「作者の死」によって、作品を読者のものにした人にロラン・バルトという人がいます。 
 なので、自分はこういう「作品は読者のモノ」という発言を聞くと、バルトを思い浮かべるのですが、じゃあその意見に賛成かというと、そうじゃないし、なによりもまずバルトが言ってる「作者の死」とこうした意見がずれている。バルトにおいて「作者の死」を告げたのはあくまで「読み」の空間の中でのことだからです。 

 「読者の誕生は、『作者』の死によってあがなわれなければならない。」 

 と確かにバルトは言っているのですが、それは当時の文学研究が「作者」という存在に縛られていて、しかし学者たちの言う「作者」は結局学者が作り上げたモノでしかなく、そんな「作者」に「読むこと」を縛られる必要は無い、という意味で「作者」に死を告げたのです。 
 国語の授業における「このときの作者の気持を考えなさい」に対して、「そんなこと分かるか」という気持、その気持が「作者の死」であって、ここでいう「作品は読者のモノ」という考えとはちょっと視点が違います。 

 この場合、大事なのは「作品」をどう捉えるかということなんだと思います。 

 思うに、作者である佐藤さんの言っている「作品」こそが「作品」なのであり、こういうバッシングをする人たちのいう「作品」は「商品」です。 
 「商品」に関していえば、「所有者」というのは大事な要素であって読者が「私のモノ」ということは簡単でしょうし、「売ってもらった」という言い方は間違ってはいないと思います。 
 しかし「作品」はどうだろうと考えます。創作物としての「作品」、「作られたモノ」としての「作品」の所有者は果たして読者なのでしょうか。たとえ作者の手を離れたとしても「作品」がどう扱われるかを決めるのは最終的には作者ではないでしょうか。せめて作者が生きている限りはそうだと思います。 
 公表された時点で「作品」は共有されると考えるのは、ニコニコ動画やYouTubeといった動画サイト、pixivといったイラストサイトの理念です。しかしその共有がいまや暴力と化しているのではないか、自分はこのニュースを見てそう思います。 
 そういう意味で佐藤さんのいう「作品」観に賛成しますし、バッシングを言う人の言葉にはすこし疑問符が付いてしまうのです。

2012年10月26日金曜日

最近の読書。技術の本と冬の犬、あとは怪談。



一週間で二冊本を読んだ。
遅読な自分としては速いペースだ。

二つの「技術」について。
石黒圭の「読む技術」と高田明典の「コミュニケーションを学ぶ」。

ペースが速かったのは、多分自分の中で「分かる」という感じが強かったからだろう。それが言語化されているという気分で読んだ。

 「読む技術」の方は、「読む」という時に使われている技術について書いてある、まあ、そのままですな。速読と精読の他に「味読(まいどく)」を加えた三種類の読み方を教えている。
 良い意味でも悪い意味でも「教科書的」ですが、主張は正しいと思います。
 つまり、「書く」や「話す」にも技術があるように、「読む」にも技術があるということ。
 「聞く」に関していえば、一番の教科書はミヒャエル・エンデの「モモ」だ。
 それに対して、「読む」という技術を教えてくれる本はなかなか無い、というのも速読しか教科書として無い。
 そんな中、良いのは松岡正剛の「読書術」なのだけれど、どうしても頭に「私の」という言葉がつく。だから、一般的な「技術」として語られた本はこの本くらいかもしれない。

 こういう技術系の本は概して「そんなことを考えず、ただ読め!」という意見に気圧されがちだけれど、僕はそう思わない。それはコミュニケーションにもいえて、もう一つのほうでも言うけれど。
 やはり「スキル」はスキルとして大事なのです。
 なぜなら、僕たちの大半は天才じゃないから。ほとんどは凡才、よくて秀才なんです。だからこそ技術は習う必要があるし、学ぶ必要がある。

 ただ漫然と読むよりも、こうした型を知った方が読みの角度が増える。
 垂直的にしかよんでこなかったものを、45°の角度で見てたり、或いは10°の角度で読む、そうした読みの多さを持つことは、畢竟、自分を多くすることだと思うんです。

 それはバフチンの「多声性」やブーバーの「我-汝」にも繋がる。
(これらは「コミュニケーションを学ぶ」に出てきたのは内緒)

 続けて「コミュニケーション技術」を読んだのが良かったのかもしれない。
 繋がるところが多かったし、自分は意図せずやっているものを意識化できたから(もちろん、意識化が全て良いわけじゃない、歩くことを意識すると途端にぎこちなくなることがあるように、スムーズにいってたものがきゅうにがくがくする、まあ「意識化」というのは概してそんなモノだと思う)。

 話がそれるけれども、ちくまプリマー新書は良い。
 高校生向け、すこし背伸びした中学生向けのこの新書は大事なエッセンスを語りかけるような言葉が選ばれていて、入門書としては大人が読んでも良い。入門書嫌いな人には多分、入門書自体の意義を否定するかもしれないが、ぼくとしては入門書などは「アタリを付ける」ものだと思う。絵で言うなら、最初から絵そのものを書くんじゃなくて、どこに何を書くかを大まかに決めるような。入門書を読むのは、そうした「アタリの付け」方を学ぶことだと思う。何度もそういうモノを自己流でやってれば自然と覚えるさ、という人は器用なのだろう、ぼくは不器用なので出来ない、だから学ぶ。

 「コミュニケーションを学ぶ」を書いた高田明典にはもう一冊「現代思想のコミュニケーション的転回」という本がある。「学ぶ」はこの「転回」をぎゅっと凝縮した感じのある本で、所々で「うーん、そう云うにはちょっと言葉が足りなく無いかなあ」と思えるところが多いけれど、「コミュニケーション学」に対して「アタリを付ける」には十分な本だと思う。
 特に、防衛的や敵対的なコミュニケーションの方法は、コミュニケーション=自分の言いたいことを的確に伝えるという風に考えている人には良い打点になるんじゃないだろうか。

 余談だけれど、読んでいて、ああ、自分はずっと「コミュニケーション」について考えてるんだなあとしみじみ思った。


 最後に小説について。
 今よんでいるのはアリステア・マクラウドというカナダの作家が書いた「冬の犬」という短篇集。この人はもう80近いんだけど、20に満たない作品しかない(しかもほぼ短篇)、超が付くほど寡作の作家。ただひとつひとつのクオリティがすごくて、読んでいると「ああ、小説ってこういうのを言うんだ」と思える。おすすめします。
 一方読んでいるのが、岡本綺堂の作品、和製ホームズ第1号と言われる「半七捕物帳」の作者。中公文庫で読物集がでてたので買ってみたら、今まで読まなかったことを後悔しました。文章が良い。明治の作家で今も読むに耐えられる作家って、実は漱石じゃなくて綺堂じゃないかしら。綺堂の作品を読むと、漱石の文体はやっぱり明治だって思えてくる。実は鴎外や綺堂の方が文章的には漱石よりも現代に通じるものがあると考えます。

2012年10月14日日曜日

丸谷才一さんを偲んで


 ノーベル文学賞が中国作家の莫言さんが受賞することになって、ああ今年も村上さんがとれなかったなあ、とおもいながら大学の私の先生にこの話をすると、ハルキがとったらノーベル賞は終わりだと、言われてしまい、何となく反論しようと思ったがそれほど本を読んでいなかったので出来ずじまいにいて、その中の大衆作家という言葉をずっと考えいたけれどそれも忘れかけたころ、丸谷さんが死んだことを知った。

 もちろん、一般人である自分は丸谷さんとは面識もなく、ただ本で知っているだけなのだけれど、やっぱり丸谷さんは「丸谷さん」と呼びたくなる。他の作家は呼び捨てにしてしまいがちだけど、丸谷さんのことを語るときはなんとなく背筋が伸びて丸谷さんと呼びたくなる。
 それは、何より丸谷さんが自分の文章を育ててくれた、という気持があるからだ。もちろん、本人は知るよしもないけど。
 大学に入ってまもなくの頃、丸谷才一という作家の名前を知ったのは何故だったか、いまではもう分からなくなってしまった。たしかエッセイを読んだからだろうか、それとも「文章読本」を読んだのが先だったろうか、曖昧になってしまうくらいに、最初の本との出会いは溶けてしまっている。ただ、この人の本を読んだときに、この人の文章をまねたいと思ったのだけは覚えている。別にまねなくても良いのに、旧仮名遣いまでまねして書いて、今でも手書きするときはプライヴェートなものは旧仮名で書いている。僕の文章の師匠、それが丸谷さんだった。
 大学に入るまでろくに本も読まないで、国語の成績も中の下、古典文法や漢文法なんてさっぱりだったのに、国語の先生になりたいと思ったのも丸谷さんの本を読んだからかもしれない。日本語が好きになったからだ。それまで、日本語のおもしろさが分からなかった自分が、そのおもしろさ、さらには言葉というもののおもしろさに気付かされたのだ。それが「文章読本」だった。小説を書こうとしていて、勉強のために読もうとしたのだと思う。たぶん小説を書くのに勉強をするだなんて、普通なら笑われるのだろう、ただ書けば良いんじゃないか、そういうのだろう。でも、自分にはそれが出来なくて、なにかこうよりどころが欲しかった、特に誰かが驚くような経験も特技もないつまらない自分でも、これだけは支えてくれるというものが欲しくて、それが言葉に対する真摯さというか、突き詰める態度、だった。
 どうしても、思った通りに書け、とか考えるな感じろという作家態度に慣れない自分が、ちよつと気取つて書け、という言葉を見たとき、目に刺さった氷の欠片が取れた気分になった。それからエッセイを読み、小説「草まくら」を読み、古本屋でエッセイを見つけると値札を見ずに籠に入れた。まあ、高くはなかったけど。
 丸谷さんの文章を見たあとでは、自分の文章のへたくそさにこんなものをよく平気で書いていたなと恥ずかしくなった。一文に掛ける時間が長くなった。原稿用紙10枚書くだけでもう気力を使い果たしてしまうくらいに言葉を考えた。今読み返してみても、あの時に書いた文章の方が上手い気がする。小説についてどう書いていけば良いかは、そこまで学ばなかったけれど、文章というものはどう書いていけば良いかを学んだのは丸谷さんからだ。

 なぜ冒頭に村上春樹の名前を挙げたか、それは丸谷さんは芥川賞の選考で唯一といっていいくらいに村上春樹を評価していたからだ。結局芥川賞は逃したけれど、世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドが谷崎賞をとったときも丸谷さんは選考委員だった。
 村上春樹も丸谷さんも、たしかに純文学とは言いがたいのかもしれない。それは、二人が日本の「純文学」という線の上からはいつも離れていたからで、だからといって「大衆文学」の椅子に安座していたというわけでもない。
 丸谷さんは純文学と大衆文学という区別に疑問をもった人だった。フランスやドイツという大陸系の小説から学ぶ作家が文壇を占めていた中で、丸谷さんは英文学から学んだ。よくよく考えると小説を英文学から学んだと発言している作家は少ない。英語圏は今ではアメリカにその株を奪われているのだし。英文学が良いという作家も、それはあくまで英文学も良い、であってそれが中心に来ることはない。そうやって言う自分だって、結局は英文学というものをほとんど読まない(一応シェイクスピアは大事にしてるけれど)。
 なんとなくだけれど、こうした英文学からの影響を受けた丸谷さんの小説は、日本の作家にとってはなんとなく相容れないものに見えるのだろうし、実際そう見ている人が多い。それは多分、日本人がこれが「文学」と読んでいるものに丸谷さんの小説(または村上春樹の小説)が馴染まないからじゃないだろうか。
 批評家が批評をしない今の日本の中で、本を読んでその本を語る数少ない人、そうした丸谷さんの本は、どれも暖かくて、批判にしても好き嫌いとはやはり次元が違うところに言葉があった。

 丸谷さんは自分にとって大学時代、会ってみたいお爺さんのうちの三人だった(のこり二人は白川静さんと松岡正剛さん、正剛さんは二人より年下でお爺さんに囲むのはどうかとは思うけど、白川静さんは2006年に亡くなった)。また、一人いなくなってしまった、と思った。もっと色々知って、それをぶつけてみたいと思ったのに。とろい自分がちょっと嫌になった。でも、こうやって言葉を書いていると、やっぱり丸谷さんから文章を学んだんだと思える。感謝しています。

2012年10月10日水曜日

短歌 七首


今君はゲッティンゲンにゐるのだと思つて何もないかべを見る

君のその鋭い八重歯に喉元を噛まれて死ねば楽になるのに

君に贈つた本や栞や言葉などすててしまつてかまはない

目はきつととらへはしない「裏切り」と貼られたみじめな顔出す人を

この歌を他の誰でもなくけして読まない人に贈ろうと思ふ

 和歌として詠みし二首

立ち別れし日にせなも見ず十三夜おぼろに乱る春ならなくに

雲居にもかよふ心は届かねど忘るな君と見し渡る月

2012年10月9日火曜日

短歌 七首





「君に冬が来ますね」と云ふ僕にまだ冬が来ないといふわけじやない 

カントさんの道徳論にしたがつて暮らしてみたら楽になつた 

一日がただ座るだけで過ぎること働くことつてこんなんだつけ 

自殺する夢を見たから許してよ死んでないけど死んだんだから 

積木のやう高くなるだけ不安定になる舞いあがつてばかりのこころ 

まみどりのがばりと樹々が覆ふ夏過ぎたら街が明るくなつた 

集団墓地を思い出す午の横断歩道待つ人々を見て 

苦しまぎれの言葉さへまた君を苛立たせてる それは知つてた




2012年9月8日土曜日

大和言葉は私にいかなる思想を生やすのか


私ののどが母音の多い言葉によって響く

脳が心地よく揺すぶられ時折口を閉じると鼻音が鼻から抜けていく



それも邪魔がはいる

思想を語る言葉

内面というものを語る言葉

無意識というものを語る言葉

それらはどれも

ゆめも

うつつも語りはしない

借り物の言葉ばかり

狩られるのは私ののど

息苦しさにあえぐその声は

母音を含んではいても

私を心地よくはしてくれない


2012年9月3日月曜日

夏の歌


 古今和歌集を読むと、夏の歌は三十二首、全ての題の中でもっとも少ないのは、そもそも夏という季節が日本人にとって雅ではなかったことをあらわしているのかもしれない。
 ただ、次第に文化が「雅」から「俗」へと性格を変えるにつれて、夏というものは文化的にもその位置を高めていったと考えられる。

 それは、たとえば芭蕉の「しづけさや」の句でも良いし、サザンやTUBEの歌でも良いかも知れない。

 そもそもなぜ「雅」にとって、夏は忌むものなのだろうか。
 考える視点をあげてみれば、例えば夏は生ものが傷みやすい所から「腐り/死」をもたらすものだからともいえる。これは「雅/聖/生」として見る視点から。夏が死に近いというのは「お盆」という行事からも考えることは可能だ。
 こうしたことはかなりこじつけも含まれるが、ただこうした何気ないつながりを考えることは、隠されているものを表に出す際には重要であることは、フロイトが示してくれている。

 しかし、別の点から考えれば、夏はもっとも生と死が近づく季節であるとも言える。その暑さは體の熱さでもあり繁茂する植物に見るように、生命がもっとも活動するという表をひっくり返すと死へと近づくエネルギーがもっとも盛んであるということでもある。

 そんな此岸と彼岸の境にもっとも近づく季節である夏は、日本人にとっては「非人間的=非雅的」な季節なのかもしれない。

2012年8月29日水曜日

書くこととフロイトの無意識の構造


 先日、大学にふらりと行くと研究会が開かれていて聞くことになった。 
 発表したのは、今は京大の院にいる研究室OB。 
 内容はインゲボルク・バッハマンとシェイクスピアというもので、詩人であるバッハマンの一つの詩がシェイクスピアの作品と関係した語彙や技法を使用していることに言及し、そうしたものに隠れていったものを示唆していった。 

 バッハマンもシェイクスピアも囓る程度でまったく深くは知らない自分にとって今回の発表は、「生成論」としてとても面白く聞けた。 
 取り上げられたバッハマンの詩「ボヘミアは海辺にある」は完成までに九つの稿があり、初稿と比べると完成稿はかなり形の違うものとなっている。 
 発表者曰く、初稿の段階にバッハマンが詩に込めていたものはシェイクスピアの引用によって「覆い隠され」ている。 

 ここからは、自分の考えたこと。 

 発表者に質問をしてみると、バッハマンがこの詩を書いた時期の遺稿を読むと、かなり詩に手を加えており、いわゆる天才型の詩人とは違うとのこと。 
 自分にはそれが、書く行為への欲望が書く内容へのそれを上回っている、という風な印象をもった。それはカフカの作法を知ったときとおなじ印象だ。 

 こうした「何度も同じものについて書く」ということに対して、フロイトの「抑圧」概念との近さを思い浮かべるのはたやすい。「書きたかったこと」が「書くこと」を繰り返すうちに「書かれたもの」と乖離していく。そうしたプロセスがフロイトの意識/無意識の関係を想起させる。そして、自分はそれに親近感というか、得心というか、なんとなくではあるが、そうだなあ、という気になるのだ。 

 ひとつにはそれが自分の体験として、わかる、からなのかもしれない。未だに完成しない小説があるのだけれど、たびたび最初から書いていく内に、最初書いた時にこの小説の中で込めようとした(込めようとされていた?)ものがどんどんと見えなくなっていく。書きたいことから書くことへ重心がずれていく感覚、それは反物語的な感覚だと思うし、一方で非常に物語的な感覚だといえる。バルトの言う「快楽」は読むことの「快楽」であったけれども、それと同じような書くことの快楽の体験がそこにある。 

 では、その体験とフロイトの抑圧構造はどういう関係が見いだせるのかは考えがまだまとまらない。 
 もう少し考えて見たいとおもう。

2012年8月7日火曜日

記憶の音楽棚



 吉田健一の『書架記』という本がある。今でも中公文庫で買える。
 
 内容は戦争で灼けてしまった青春時代の本を思い返すという体裁の書評で、執筆時に筆者がその本を持っていないというところが面白いと思った。もちろん別の本で読んだのかもしれないがほとんどは記憶で書いているところに記憶という洗練/美化/脚色を被る書物の唯一性がそこにある。

同じ事をしても面白いとは思わないので、自分は音楽でそういうものが無いかを思い返してみる。


・タン・ドゥン作曲 オペラ「Tea ~茶経異聞~」

 中国の現代作曲家である、タン・ドゥンのつくったオペラ。グリーン・レクイエムという日本でも流行った映画の音楽も作っているから、もしかしたら彼の音楽は聴いたことがあるかもしれない。
 自分はこの音楽をNHKの芸術番組で観た。ビデオに録ったが今ではビデオを観ることが出来ず、カセットも多分かなり痛んでいることだろう。

 内容は茶の秘伝「茶経」を巡る日本の皇子と唐の皇女の悲恋。

 物語は簡素だが、台本は難解。禅的な思想が繰り広げられる。

 音楽が良い。アジアの声唱法がふんだんに使われているのに、西洋音楽とぶつからずに調和している。それがタン・ドゥンのききどころでもある。

 もう一つの特徴は、舞台効果と音楽の融合。舞台上に三人の打楽器奏者がいて彼らの演奏=舞台演出となっている。
 とくに印象的なのは、天井から垂れ下がる紙。それを彼女達(打楽器奏者は全員女性。衣装も着ており、天女のように舞台を「舞う」)は撥で叩いたり、或いはゆすったりして音を奏でる。
 場面ごとに中心となる楽器が場の名前となっている。「水」「紙」「陶器」など考えると、こうしたものは「茶」に結びついているとも考えられる。

 たぶん、私にとってのオリエンタリズムの憧憬はここから始まっているような気がする。

2012年7月27日金曜日

哲学って何?ともし高校生あたりに聞かれたら、まず言おうと思うこと。



哲学って、何?
って考えたことがありますか?

カントやヘーゲル、マルクスやハイデッガーとか色々な哲学者がいて、みんな小難しいこと言ってるんですけど。
だから、みんな敬遠してしまいがちなんだとおもうんです。

それは、多分哲学が何を目指しているかが分からないからなんだとおもうんですよね。
じゃあ、哲学って何を目指しているのかというと、

「いまこうやって生きている私がいなくなっても、ずっとありつづけるものって何だろう?」に答えを出す

ってことなんです。
で、そういうことを目指すんじゃなくて、

「今生きている私にとって○○はこんな意味なんだ。」

に向かうのは哲学じゃなくて「思想」なんです。

だから、今は哲学者はほとんどいなくて思想家が多い。
フロイトなんかはある意味「思想家」なんです。
彼は、私にとって「心」とはこういうものなんだということを語っている。

いま、頭が良いと言われている人がよく引き合いに出してくる、
フーコーやデリダ、バルトみたいな人たちはあくまでその人たちにとっての『世界』を語っているってことを忘れちゃ行けない。それを『哲学』として見ると、どうしても見方がずれると思うんです。哲学があくまで厳密な学問としてあるとすれば、思想はそうじゃない。そして、そうじゃないからこそ、思想は読む価値があるんじゃないかと僕はそうおもいます。

2012年7月7日土曜日

ぼくのプロポ 003

  ○ 

 ぼくはただ当たり前のことを書くだけなのだ、正確な筆記を以て。 
 その当たり前を読まない人は、ただ踊り、歌い、食物を食い、眠りを貪り、己の享楽をのみ大事としている。残念でならない、彼らのために書いた文章はすべて、彼らの尻の下に敷かれ、その汗で滲んでいる。 

  ○ 

 何を求めているのか、知らない。高い塔の上で書物に囲まれ生きる老隠者のように、ひっそりと、黙々と、知識を得る人よ。知識は、死と同時に消滅する。何のために知を得るか。 

  ○ 

 一人の狙撃手のように。言葉を狙い撃つ。若々しいのも、老いたのも、狙撃手の前では同等、そこには生か死のどちらかしかない。死の宣告もなく、殺される言葉はなるべくしてなったのか、はたまた偶然か。 

  ○ 

 どうしても生活のレベルというものは下げにくいもの。例えそれが、100円のお菓子を買わないことでも。「いままで」が「これから」と結びついてこそ「今」があるのだという、人間の無意識な生き方がそうさせるのかもしれない。如何に100円のお菓子を買うことと買わないことを結びつけるか、それが問題です。 

  ○ 

 問は答えを選ばせる。問われた私たちは答えの選択を迫られる。その時の態度が私である。私たちは問うことばかり考える、問われなければならない。まなざすのではなく、まなざされること。まなざしかえすこと、時に逃げること。私がその中にいる。 
 

短文「停滞の日」

 怠惰とは違う停滞を味わいながら、人に文句の云われない程度の酒をたしなんでいた。酒の表面にほこりのように積もるそれのせいで中々呑みこめない、そんな日だった。普段は氷を入れるグラスもその日は入れず、とろとろとした温みを含んだ液体を胃に流しこもうとすると、粘り気のあるみたいに入っていかない。それもこれもこの停滞のせい、すべてはそう……、とその時は考えていた。 

 苦しい、と云う訳ではなく、ただ、ただ、何もない、本当に、と自問しても、返ってくるのは、本当に。自分の心がそう思っているのだ、いくら聞いても答えは同じに決まっている、変化のない自分と自分の問答、はなから質問なんてこれしかない、本当に。 

 もうたいくつかすらも分からない。全てのことから自分を切り離して、残るものが自分ではなく、たいくつであるなら、自分こそがたいくつなのだから、たいくつを感じると云うのは、自分を感じることであり、結局たいくつが自分であり続ける以上、そこにあるたいくつは自分。手にもったグラスも、中にある酒も、たいくつであり、自分だ。そんな考えがぐるりぐるりとまわった。

高橋源一郎「『悪』と戦う」

ぼくというひとが大人になって私になっても、ぼくはぼくのままなのかなあ、と思うことがある。
大人になるってこと自体がピンと来なかったら、この問題はいつまでたっても答えられない。でも。大人になるってこういうことだって分かったなら、それはもう大人なんだろう。だから、ぼくはなにも答えられないでいるんだ、と昔思ったものだ。
すでに、私は大人になってしまった。もう子供には戻れない、あの、何も知らなかったころには戻れない、驚きが少なくなり、答えが一つになっていく、それを人は成長と言うけれども、本当に成長が素晴らしいことなのだろうか。

無題


今日母のような人に会った 

母のような人は度々泣いた 

ぼくのために泣くのだった 

そんな母のような人の横で寝転びながら 

ぼくはこの人のために真夜中来ることができない 

恋人への詫びを考えていた 

そんなことを考えていた

2012年5月28日月曜日

フランツ・カフカ 「プロツェス ~ある訴訟の過程~」 その1

 逮捕 
 誰かがヨーゼフ・Kを誹ったに違いない、というのも何も悪いことをしていないのに、彼はある朝逮捕されたからだ。大家であるグルーバッハ夫人の女料理人が、いつもなら八時前に朝食を作って持って来るはずなのに、この時は来なかった。今までに、そんなことは一度も無かったのだ。彼はすこしだけ待って、枕に頭を乗せたまま、向かいに住んでいる、まったく異常な好奇心でもってKを観察する老婦人を見たけれども、奇妙だなと思うと同時にお腹が空いたなと感じて、ベルを鳴らした。すぐにノックの音がして、Kがこのアパートで一度も見たことがない男が入って来た。男はすらっとしているけれどもがっちりした体格で、身体にぴったりあった黒い服を着ていたのだが、その服は旅行服に似て、様々な折り目やポケット、金具と、そしてベルトがついており、そのために、その服がどういう用途を為しているのか、とくにどういった所が実用的に思えるのかがさっぱり分からなかった。「どちら様で?」とKは尋ねながら、ベッドの中ですぐに上半身をぴんと起こした。男はしかし、自分が現われたことをさも当然のことであるかのように、Kの質問を無視して、彼のほうでただこう言っただけだった。「ベルを鳴らしましたよね。」「アンナに昼食を持ってきてほしいから」、とKが言うと、とりあえず黙って男が一体何物なのかを注意深く考えながら確かめようとした。しかしこの男は彼の事を自分の視線に長いことさらすことはせず、少し開けたドアの方を向いた。明らかにドアの後ろにぴったりくっついて立っている誰かに話すためだった。「アンナに朝食を持ってきてほしいんだとさ。」隣の部屋で小さな笑い声がしたが、どれくらいの人間が笑っているのかはっきりしなかった。見知らぬ男は、そうすることで、知らなかったことが何か分かったようには見えないのに、報告口調でKに告げた。「それは不可能ですね。」「初耳だな。」とKは言って、ベッドから飛び起き急いでズボンをはいた。「隣の部屋にどういった人間がいるのか見てみたいし、グルーバッハ夫人がこういう妨害行為に対してどんな責任を取ってくれるのかも知りたいんだ。」こんなことを大声で言うべきではなかったと彼はすぐに気付いた。そのせいで見知らぬ男に見張る権利を認めてしまったようなものだ。だが、今のところ彼には大したことだとは思われなかった。 (...)