2012年5月28日月曜日

フランツ・カフカ 「プロツェス ~ある訴訟の過程~」 その1

 逮捕 
 誰かがヨーゼフ・Kを誹ったに違いない、というのも何も悪いことをしていないのに、彼はある朝逮捕されたからだ。大家であるグルーバッハ夫人の女料理人が、いつもなら八時前に朝食を作って持って来るはずなのに、この時は来なかった。今までに、そんなことは一度も無かったのだ。彼はすこしだけ待って、枕に頭を乗せたまま、向かいに住んでいる、まったく異常な好奇心でもってKを観察する老婦人を見たけれども、奇妙だなと思うと同時にお腹が空いたなと感じて、ベルを鳴らした。すぐにノックの音がして、Kがこのアパートで一度も見たことがない男が入って来た。男はすらっとしているけれどもがっちりした体格で、身体にぴったりあった黒い服を着ていたのだが、その服は旅行服に似て、様々な折り目やポケット、金具と、そしてベルトがついており、そのために、その服がどういう用途を為しているのか、とくにどういった所が実用的に思えるのかがさっぱり分からなかった。「どちら様で?」とKは尋ねながら、ベッドの中ですぐに上半身をぴんと起こした。男はしかし、自分が現われたことをさも当然のことであるかのように、Kの質問を無視して、彼のほうでただこう言っただけだった。「ベルを鳴らしましたよね。」「アンナに昼食を持ってきてほしいから」、とKが言うと、とりあえず黙って男が一体何物なのかを注意深く考えながら確かめようとした。しかしこの男は彼の事を自分の視線に長いことさらすことはせず、少し開けたドアの方を向いた。明らかにドアの後ろにぴったりくっついて立っている誰かに話すためだった。「アンナに朝食を持ってきてほしいんだとさ。」隣の部屋で小さな笑い声がしたが、どれくらいの人間が笑っているのかはっきりしなかった。見知らぬ男は、そうすることで、知らなかったことが何か分かったようには見えないのに、報告口調でKに告げた。「それは不可能ですね。」「初耳だな。」とKは言って、ベッドから飛び起き急いでズボンをはいた。「隣の部屋にどういった人間がいるのか見てみたいし、グルーバッハ夫人がこういう妨害行為に対してどんな責任を取ってくれるのかも知りたいんだ。」こんなことを大声で言うべきではなかったと彼はすぐに気付いた。そのせいで見知らぬ男に見張る権利を認めてしまったようなものだ。だが、今のところ彼には大したことだとは思われなかった。 (...)