2013年10月28日月曜日

音楽について

 吉田秀和を読むと、音楽が聴きたくなる。これこそ音楽批評だと思う。大抵のCDなんかに付いてる解説なんか見たって仕方が無い、それが何年に作られ、その時作曲者は云々なんて話を聴いてもしょうが無い。時々、作曲者が誰それ、とか、曲名はどうこう、なんてこと自体いらない、なんて考えもする。どこかでラジオか有線で流れてくる曲に耳を傾けるくらいがちょうどいいと思ったり。あとで気になっても、調べようが無いのが不便だけれど、まあ、一期一会。

 それだから、こと音楽に関する本はほとんど読まなかった。中学から音楽をやってて、それも惰性で十年は続けていたのに。たまにネックの歪んだギターの調子を合わせて、バッハのリュート組曲とか、ピアソラのブエノスアイレスの夏とかをリズムもテンポもたどたどしく鳴らしたりするのに。それくらいには音楽になじみがあって、たまに買ったりするのだけれど、それきりのものばかり、あえていうなら、読んだ本、楽典、管弦楽法、ってなる。だから、楽譜を読むのに苦労は無いけど、それだけだ。結局、音楽は自分にとってやるものでもない、かといって、聴くものなのかというと少し違う。よく、心の底からの感動を吐露する人がいるけれど、そういう類の動揺を感じることは今まで無かった。それをいったら、小説だって、映画だって、漫画だって。どこか冷めてる、人が良いと言うから読む、観る、聴く、ただそれだけのことが多い、基本感動できない人間なのだ。

 だから、吉田秀和の本を読むというのは自分としては異例のことで、しかも、面白いと思っている自分がいることもまた異例なのだ。その「おもしろい」と思う感覚は、Interessantの方で、Amuseでないところがまた自分らしいと思うのだけれど。例えば、丸谷才一を読んでいるときに感じる感覚もまさにこれで、それは旧仮名遣いというものだったり、常体と敬体を織り交ぜた文章だったり、ジョイスから発想を得た、意識の流れを感じさせるあのモダニズムな前期の作品群だったりとそういうものに対する「おもしろい」の感覚なのだ。

 丸谷才一のエッセイを読んでいると、時折この吉田秀和の名前をみる。どちらも桐朋学園で教鞭をとっていたんだそうだ。かたや東大英文、かたや仏文、縁もあるから褒めるのかもしれないと思ったけれど、丸谷才一はあまりそういうことをしない人だ、つまり良いから良い、悪いから悪いとはっきりしてる。日本のエッセイを作り替えた一人であると言い切れるこの人が、批評の文体を学んだとはっきり言っているのが吉田秀和。ここまで言いきれるっていうのがすごい。

 話がそれている。とにかく、吉田秀和の本は自分の肌に合うのか、手がしびれたり、目が疲れたりするのも構わず、先へ先へと読んでしまう。
 初めて読んだのは「主題と変奏」、中公文庫。薄い本でさらっと読めるのだけれど、そこにある文章は二度読んでも三度読んでも良い。なぜだろうと考えてみると、やはり無理が無いというか、自分の感覚を裏付けているものに対してブレが無いからなんだろう、と思う。たとえば、同じ私が思っていることは誰それがいっているという言葉にしても、普通なら権威主義に思えてしまうのが、吉田秀和の文章を読むと感情としても理性としてもその土台がしっかりしているからか、そうした一流の人々の言葉はあくまで添え物で自分の言葉がメインであるという感じがする。まさに、一流の料理は一流の素材のことではない、と教えられる気分だ(まあ、一流の料理なんて食べたことがない自分がいうのもあれですが)。

 たとえばベートーヴェンの弦楽四重奏、どうしてもカルテットという形態に対して、何がおもしろいのかさっぱり分からなかった自分が四重奏をおもしろいと思えるようになったのは、ラヴェルとドビュッシーの四重奏と、アルバン・ベルク四重奏、そして吉田秀和の文章なのだ。流れとしては、まず二人の作曲家の曲があり、そして演奏者と批評家が同時に自分にそれを教えた形になっている、といってもその間にはかなり開きがあるが。そもそもなぜカルテットの良さが分からなかったかというと、簡単に言えば、自分が仲間はずれにされていたから。コントラバスをやっていた自分にはカルテットに触れる機会も無ければ、興味を持つきっかけもなかったのである。そもそもピアノの音があまり好きでは無いという理由でピアノ曲を聴かないなど、音楽の偏食が激しい自分としては、理由は後付けみたいなもので、きっと食わず嫌いか何かだったのだろう(最近ではピアノ曲も聴く、特にベートーヴェンの後期ソナタ)。

 食わず嫌いというと、それは自分の一つの本性みたいなもので、偏見というかそういったものに対して人一倍反応する自分は、多分他の人の数倍は偏見を持っている。そういう偏りを治したいと思ったけれど、それがかなり微妙なバランスで、たぶんどこかに手を付けたら、とたん崩れてしまうので、やめた。だから、以前は受け付けなかったものを享受できるのは、偏見が無くなったからだというよりも、その数ある偏見の中で上手く処理できるようになったというのが正しい。そんなものなんだろうと思う、好きになるというのは。

 自分が好きな作家や人物って言うのはある意味「頑固」な人が多い気がする。自分を曲げない人間、偏屈というのではなく。もしかしたら、丸谷さんも吉田さんも実際会ってみると付き合いづらい人たちなのかもしれない。といっても、話す機会は訪れることはないけれど。自分もそんな頑固さを持っていたいのだ、できれば。

 ちくま文庫吉田秀和コレクションの中の「私の好きな曲」を読みながら、ベートーヴェンの四重奏曲を聴いて、思ったことを書いてみた。

2013年8月27日火曜日

「風立ちぬメモ」 その2

 二郎と黒川は似ている。互いに飛行機に憑かれた人間。ただ違うのは、二郎が天才としたら、黒川は秀才、天才のしていることが分かりながらもそこに追いつけない。ライバルでありながら、二郎の仕事の最大の理解者。本庄は違う、彼は二郎の仕事を理解し切れていない、だからこそ彼独自の仕事が出来ている。
 たとえば、はやぶさの取り付け金具が「二郎と考えたものと同じ」であったり、二人が同じ画面の中でストップウォッチを推す仕草を重ねたり、二人を対称的な位置に意図的に描いている。その中で二郎は、一歩ぬきんでていることを、描くことも忘れず。なにより主要人物の中で、黒川だけが二郎と同じ「眼鏡を掛けている」。

 なぜ、二郎に婚約者がいると分かった時、彼は笑いながらも泣いたのか。同じ人間であるという安心から?

 後半、黒川は自分の内に二郎を住まわせている。仲人もつとめている。ここでは黒川夫妻と二郎・菜穂子が対称的になる。ある意味では黒川夫妻の在り方は、二郎・菜穂子がたどれたもう一つの可能性に感じる。


 映画の中では飛行機以上に汽車が重要な役割を果たしている。それは移動手段として、そして物語の「運び屋」として、何よりも時代を駆け抜けるというメタファーとして。
 汽車は最初の夢から出てきている。二郎の夢の中で飛ぶ飛行機が打ち落とされて二郎が落ちていく中で汽車が走っている。
 時間的な移動も汽車が行っている。この映画において、時間の経過表現がまったく観られないが、汽車に乗っているシーンがその経過を表わしていることに気付く。時間・空間の移動。
 夢の中でも汽車は度々登場する。
 最後に菜穂子を夢の王国に連れて行ったのも汽車だと言えるのでは無いか。
 

 目の中の星は恋愛感情の表れと言える。お絹や菜穂子の目をよく見てみると、一つだった星(黒目に描かれた白い丸)が二つになるところでは、二郎に対する何かしらの感情を読み取ることが出来る、それは明らかに恋だ。一方二郎の目の星は最後まで一つのままである。唯一、夢の王国で菜穂子に「生きて」と言われた時に、その目には二つの星が浮ぶ。

2013年8月11日日曜日

「風立ちぬ」メモ その1


・堀越二郎

 宮崎作品の登場人物の中でも何を考えているのかが読めない。周りの人間に対する受け答えをどことなくぼんやりと受ける。

 彼の行動原理はそもそも「美の追求」であり、その行動律に触れないものはことごとくぼやけるのである(まるで、眼鏡をかけないでみる近視の世界のように)。彼の美に対する焦点は常に定まっていて、ぶれることがほとんど無い。だが、その精確無比な焦点はごろごろと変化する世界を前に彼の歪みとしてあらわれる。一分の狂いも無い直線ほど自然の中で不自然なものはないのと同じだ。彼の行動は美を前にしては素早く、そして手際が良い。設計図を描き、計算尺を操る彼の手は無駄が無い。美を顕すものを前にしたら礼儀を忘れない、ユンカース博士を前にした彼は同僚の本庄より先に帽子を脱ぐ。

 それでいて、少しでもそこから外れた物事に対する彼の愚鈍さはどうだろう。その動作は亀の歩みを擬する。上司や同僚の言葉も耳に入らない。どことなく、一手遅れている。例えば、婚儀のとき本来ならば黒川夫妻に礼を述べるのは夫である二郎の役割ではないだろうか。それなのに、彼は菜穂子が黒川夫妻に向かって感謝の辞を話すのを聞いて、初めてそれに気付いたように横に並ぶのである。

 彼は天才である。天才であるが故の歪み。その歪みに誰もが惹かれている。

 表情の乏しさ。感情の欠落。庵野秀明の声はまさにそのために必要だった。演技をしてはならない。まるで人形のような、しかし人形が人形であることを自覚していないような。

 金持ちの家に生まれた、階級が上流の人間特有であるだろう、他者を考えることが出来ないという病。その病に無自覚な人間が、行う優しさ。それが受け入れられなかったときの困惑。子供らにシベリアを与えようとして逃げられたときの呆然とした姿。本庄に自分のアイディアを譲渡するが、「折角だが、これは使わん」と言われた時の表情。彼には、自分の行う好意がなぜ受け入れられないのかが分からない。震災のとき、おきぬを助けたときのように、自分のすることは感謝されて当然のはずなのに、と思わずに思っている。

 彼は当たり前のように嘘をつく。それには悪気がまったく感じられない。特に心に残る嘘は何か。菜穂子に言う、初めて会った時から君のことが好きだった、という言葉。そんな訳は無い、彼はむしろ女中のおきぬに惚れていた。だからこそ、計算尺とシャツが大学に届けられた時、彼の想った人はおきぬであった。軽井沢で再び菜穂子と見えたとき、結局彼は菜穂子が名乗るまで気付かなかった。しかし、彼のいう言葉に矛盾があったとして、そこに悪意が微塵も感じられない。その残酷さ。

 眼鏡をかけてみるということ。まさに言葉通りの、そして慣用句としての。彼は寝ている時でさえ眼鏡を外さない。眼鏡を外して眠るのは、最初とそして零戦の原型機が完成したときに菜穂子が外した、その二度だけだ。 

2013年8月10日土曜日

カフカの翻訳 「街道の子供たち」 (観察より)

 最近少しずつではあるが「観察」を翻訳している。
 この小品は、すでに一ヶ月前には完成していた。
 けれども、次がなかなか続かない。
 ややこしい文章である。短いからこそ、文脈がとりづらい。ただ、どの文章もなんとなく突然はじまり、突然終わる印象がある。はじめて公に出たカフカ、ほとんど見向きもされなかったカフカ。





 庭の柵に沿って馬車が走るのを聞き、微かに揺れる葉の間からそれを見た。暑い夏には車輪の軸やスポークの木があんなに鳴るんだな。畑から働き終わって帰ってくる人たちが笑っているけど、なんだかこっちが恥ずかしくなる。
 両親の家の庭に生える樹々の中で、小さなブランコに座って休んでいるところだった。
 柵の前が静かになることはない。子供らがつかの間、駆け足で去って行ったり、穀物の束の上に男女を乗せた馬車が花壇へと影を差すと、その辺りが薄暗くなったりする。夕方になるとステッキをもった一人の紳士がのんびり散歩をするし、そこへ互いに腕を絡ませた少女らが向かいあえば、彼女達は挨拶をしてわきの草むらへ退く。
 鳥が飛沫のように舞い上がるのを目で追うと、一気に昇っていくように見えたので、鳥が昇った、ではなく、自分が落ちた、と思い、気付けばしっかりと綱を握り、ゆっくりと少しずつブランコを揺らし始めていた。しばらくして揺れが大きくなったときには、空気はもう冷たく吹いており、飛ぶ鳥に代わって震える星が姿を現した。
 ろうそくの灯りのそばで夕食をとることにした。何度も両腕をテーブルの上へ投げ出してしまいながら、とっくに疲れてきっているけれども、バターパンを噛む。目の粗い透かしの入ったカーテンが暖かな風に膨らむと、ときおり表を通り過ぎつつ、それをつかみ取るのがいる。もっと顔をよく見て話をしたいと思ったのだろう。ろうそくは大抵すぐ消え、黒っぽいその煙のただようなかで、しばらく一群れの蚊が忙しく動き回っている。誰かが窓から声を掛けてきたなら、じっとみてしまうだろう。山々か、もしくは新鮮な空気の中で見る時と同じふうに、答えることも多くなく。
 そのうち一人が窓枠を飛び越えて、もうみんな家の前にいるよ、と言うから、もちろん溜息をついて立ち上がった。
「ねえ、何でそんな溜息ついてるの。何があったの。何か特別な、けして良くならない不幸なことでも起きたの。もう立ち直れないの。本当に希望なんて全くなくなったの。」
 希望が無いなんて、そんなことはなかった。家から走り出ていた。「もう、やっと来たね。」―「君はいつも遅れるんだから。」-「なんで僕だけ。」-「特に君だよ、来たくないなら、家に残ればいいのに。」-「そんな、ひどいよ。」-「ひどい、って。何言ってるの。」
 頭で夜を突き抜けた。昼も夜も無い。歯のようにチョッキのボタンは擦れて鳴り、互いが互い、距離をとって走っていると、熱帯の動物のように口の中は火に溢れた。古き戦の騎士みたいに、足を踏み鳴らしながら外の高いところへ、互いにせっつきながら短い道を一度は下っていき、その勢いで足がもつれるのも構わず国道を駆け上がっていく。ひとりひとりが道の横溝を進み、暗い斜面を前に見えなくなったかと思うと、すでに見知らぬ人々のように畑道に立って、こちらを見下ろしている。
 「降りてきなよ。」-「まずは昇ってこいよ。」-「突き落とす気なんだろう、やだよ、それくらい頭が回るんだから。」-「それに自分たちは臆病者だし、そう言いたいのかい。いいから来いって、来いってば。」-「なんだい本当に、君たち、君たちが突き落とそうって言うのなら、どんな目に遭わせてやろうか。」
 突撃を仕掛けたら、胸を突かれ横溝の草の中に横になっていた。落ちたのだ、自分から。全てが同じくらい熱を持っている。草の中で、熱さも、肌寒さも残ってはいなくて、ただ、疲れてしまっている。
 右の方に寝転び、手に頭を乗せれば、よく眠れそうだ。確かに頭を上げてもう一度起き上がりたいと思うんだろうけれど、その為にはもっと深い溝に落ちなきゃいけない。それから、大の字になり、足に斜めに吹く風を感じながら、この空に向かって身を投げ出したとして、それは結局、それ以上にもっと深い溝に落ちることになるだけだ。それでも、やめようとは思ったりしないだろう。
 最後の溝にはまってもうただ眠るため目一杯に伸びをするかのように、特に膝をのばす、なんて思うまもなく横になる。泣きたくなって、病気の時みたく身体を仰向けにする。
 月は幾らか昇り、一台の郵便馬車が光を浴びて通り過ぎる。弱くなってきた風がそこらを吹き上げるのを溝の中で感じ、近くで森がざわつきはじめる。そこにはもう、独りだ、ということしか無い。
 「どこにいるの。」-「こっちだよ。」-「みんないるんだ。」-「隠れるなんて、無駄なことはやめなよ。」-「郵便馬車はもう行っちゃったのかな、知らない。」-「知らないなあ、行っちゃったの。」-「もちろん、君が寝てる間に、走ってったよ。」-「寝てたって、そんなの嘘だあ。」-「ま、静かにしてな。だってそう見えたんだ。」-「そんな。」-「行こうよ。」
 一緒になって寄り添いながら走り、みんなが互いに手を取った。頭をあまり高くしないでいたが、それも道が下っていたからだ。誰かがインディアンみたいに鬨の声を上げた。脚を今までに無いくらいにギャロップにする。跳べば腰を持ち上げる風。誰も止めることは出来ない。それは走っている最中、追い抜く時に腕を組んだり、遠慮無く振り返って見たりできるほどだった。
 渓流に架かった橋の上で立ち止まると、先の方へ行っていたのが、戻ってきた。まるで夜更けを感じさせないほど、水は石や木の根にぶつかる。それが理由というわけでは無いのだろうけど、誰かが欄干の上で飛び跳ねることは無かった。
 茂みの後ろから遠く鉄道列車が走り来て、硝子窓が下ろされたその各席には灯りが点いていた。一人が流行りの歌を歌い始めると、みんな歌いたくなった。列車が行くよりずっと大声で歌い、それでも足りずに腕を振る。声を出しながら気の置けない集まりの中へ行く。声が別の声に混ざると、釣り針にひっかかったみたいだ。
 だから歌った、森を背に、遠くの旅人の耳に届くように。大人たちは村でまだ起きていて、母親たちは夜のためにベッドを整える。
 もうその時間だ。近くに立っていた子にキスをして、隣にいた子の三人にだけ握手をした。そして来た道を戻り始めた。誰も呼び止めはしなかった。姿が見えなくなったにちがいない最初の十字路で道を曲がり、畑道を通って再び森の中へ入った。南の町へ向かっていた。その町では村のことをこんな風に話していた。
「村にいる奴らってさ、眠らないらしいよ。」
「一体どうしてさ。」
「疲れないからさ。」
「なんでだよ。」
「馬鹿だからだよ。」
「馬鹿は疲れないの。」
「馬鹿が疲れるもんか。」

2013年7月3日水曜日

雑感



 グーグルがカフカ生誕130年でやっているみたいですが。

 私としては、それはいっこうに構わないのです。それによって、皆がカフカについて興味をもってくれれば言うことはありません。いまでは、なんでしょう村上春樹が「海辺のカフカ」を書いて以来、ハルキ=カフカというふうなイメージなのでしょうか、まあ、それでも構いません。だって、人には必ず何かしらの源流があって、でもそれはあくまで源流でしか無く、その源流の流れが一つとは限らないのですから。それに、その流れが本当に一つの源流から成り立っていることはまあ少ないのですから。多分、ハルキにとってカフカは彼の流れの中で大きな源流の一つなのでしょう。そもそも、カフカ自体が源流だと考えること自体おかしなことです。彼もまた流れの一つなんですよ。

 とにかく、グーグルでこうして注目されるのは構わないことです。お前はカフカの何だと言われても、ただ読者の一人だ、しかもまだ近づけない読者の一人だとしか言えません。それくらいに、カフカは遠い。何かしらカフカについて語るのを見ると、カフカの何々という作品は……、というふうに語る事をしないで、カフカは……、と語っているのはどうなんでしょう。彼らは多分、カフカの作品を読んでいないように思うのです。いや、多分「変身」やら「審判」やら、「城」、もしかして「巣穴」なんかもそのページを繰って書かれている言葉に目を通したかもしれません。だけど、それだけじゃありませんか。彼らはあくまで日本語(あるいは、その人の母語で、もしかしたらドイツ語)でそれを読んだだけで、目の前で座って、子供のような目で観察するカフカというものを見たことはないのです。なのに、カフカは、だなんて、ねえ。もちろん、私だって、会ったことはありませんし、今後も会えません、当たり前ですが。
 なんで、私たちには作品しか残されていません。でも、その作品自体、本当に読んでいますか? それは、暗記しろと言っているのではないですし、分析や批評をしろと言っているのでもないのです。ただ、読んでますか、と言いたいのです。
 もしかしたら、私も、読んでいるとは言えないのかもしれない。ただ、ページを埋める言葉を目で追っているだけかもしれない。語れないですね、やっぱり。
 ただ、カフカの作品の表面、いや、実際触れているという感じもないですね、もっと離れて周囲くらいなら、ぽつぽつ話せそうな気がします。私が話せるのはそれくらいですね。なんで、カフカの作品は、と言える人、いや、別の作家でも良いです、それこそ村上春樹でも、そうした事の言える人に言いたいんです。

「あなたは、何を語っているのですか?」

 グーグルの話から、遠くなってしまったような気がします。
 とりあえず、これだけは言わせて下さい。
 グーグルさん、あのロゴだけはいけません。いいですか、あのロゴだけはいけません!

2013年6月13日木曜日

カフカ風散文 その1

 僕は歩き続ける。僕を残していくのを忘れず。何か目的地があるわけでは無く、そこにたどり着くべき場所があるわけでは無く、さらにはどこかから始めたというのでも無い。あると確実に言うことが出来るのは、歩いている僕と、残った僕だ。もう少し正確に云うべきだろう、この大地を確実に一歩一歩蹴っているという決定的な感覚を持っているのが他でも無い僕であるという確信があるし、そして僕が離れていき着実に小さくなっていくということを立ち尽くしながら考えている瞬間がある。何千という夜の、また次の夜が過ぎ、僕はもう蚤の目に入った埃よりも小さくなってしまっても、なお、まだ小さくなっていく。とつぜん、めまいに襲われて僕は地面に膝をついた。歩き疲れたからか、じっとしていることに疲れたからか、もう僕には分からない。それは、向こうにいる、小さくなってしまった僕がどうなったのか分からないのと同じ事だ。ただ、分かっているのは、実は、大地は天動説を口にする人々によって円盤のように平らかであり、どこまで行っても終わりなどないということだ。

2013年4月29日月曜日

ロベルト・ヴァルザーの詩「事務所にて」


 つくるということが最近はできないでいる。 
 やることといったらつくりかえることくらい。 
 それも必要にせまられてではなく、 
 必要を感じるためにつくりかえる。 


 「事務所にて」 

 月が僕らを見る、 
 彼にとって僕はみじめな雇われでしかない、 
 雇い主の厳しい目にやつれた 
 みじめな雇われでしかない。 
 いごこちわるく首を掻く。 
 生きるという陽の光を浴び続けるなんて 
 僕には出来そうもない。 
 足りないということが僕にはふさわしい、 
 それが雇い主に見られながら 
 首を掻くしかないということ。 

 月は夜の傷。 
 血の雫は全て星。 
 例え輝かしい幸福からはとおくとも、 
 おこぼれくらいはもらえるのだ。 
 月は夜の傷。 
 

2013年4月8日月曜日

役目が終わる。

 あらゆることには始まりがあり、終わりがある。男の役目もそろそろ終わりを迎える。このことを男はうすぼんやりとだが気付いており、だからといって何もするわけではないが、それでも終わるのはいつなのだろうかと考えている。そもそも彼にとって、その役目を背負うことになったのは本当に偶然のことであった。それが彼でなければならないとは、誰も思っていなかったに違いない、当の彼自身さえそう思っていた。しかし、彼はその役目を引き受けた以上、役目を果たすことに尽くした。別に特別なことは何もなく、彼は彼の以前の生活をなんら変える必要はなかった。それでもその中に役目があり、役目を負っているという考えが彼の生活には満ちたのだった。そのせいで彼は最初、自分の生活がまるきり変わってしまうのではないかと恐れた。それは杞憂に終わった。何も変わらずに、以前の生活を続けながら彼はその役目を担った。ある時、男は友人に向かって、俺は今やらなきゃいけないことを任されているんだと云ったことがある。友人は無関心そうに、ただ友人としての優しさを以て聞いた。ふうん、それはどんなことなんだい。男は何も答えることが出来なかった。さて、ある日、彼はいつ終わるともしれない自分の役目が一体どんなふうに終わるのかを想像していた。そしてこの役目を任された時のことを思い出そうとした。しかし、それがいつのことだったか、そもそもどのようにして任されたのか、思い出せなかった。男は友人に、僕は君に、役目を任されたことを云ったと思うのだけど、あれはいつだったっけ、と聞いた。しかし友人から返ってきた応えは、そんなことを云ったことあったか、だった。それを聞いた時には、男の役目はすでに終わっていた。だが、男はふたたび役目がいつ終わるのかを考えていた。

ロベルト・ヴァルザーの詩 「傍らに」「怯え」「いつものやうに」


 傍らに 

 ぼくはひと歩きする。 
 それほどでもない距離を遠回りして、 
 家まで。そのとき響きはなく、 
 言葉もなくぼくは傍らにいる。 


 怯え 

 ぼくはとても長い間待つてゐた、甘い、 
 調べと挨拶、ひとつの響きだけを。 
 今ぼくは怯えてゐる。調べでも響きでもなく、 
 霧だけが濛々と立ちこめ迫つてくる。 
 ひつそりと暗やみにまぎれ歌つたもの、 
 ぼくの心を和らげてほしい、悲しみよ、今では陰鬱な歩み。 


 いつものやうに 

 ランプはまだそこにあるし、 
 机もまだそこにある、 
 ぼくはまだ部屋にゐて、 
 ぼくのあこがれは、ああ、 
 まだいつものやうに溜息をついてゐる。 

 臆病、君はまだそこにゐる? 
 それから、嘘、君も? 
 ぼくはあいまいな肯定の返事を聞く。 
 不幸がまだそこにゐる。 
 そしてぼくは、まだ部屋にゐる、 
 いつものやうに。

2013年3月26日火曜日

ロベルト・ヴァルザーの詩 「雪」


カフカや、現代の数多くの作家が愛するスイスの作家ロベルト・ヴァルザー。 
読んでみて思ったのは、もしかしたらカフカより好きかもしれない、という期待。 
カフカはあまりに自分と同化してしまいその姿を見ることができない、いわば僕の目がカフカの目であるよう。 
それに比べてヴァルザーは確かにそこにいる、その姿を見ることができる。 



 「雪」 

 雪がふる、雪がふる、大地を覆ふ 
 白い苦しみを伴つて、ずつと遠く、遠くまで。 

 痛みに空からひらひらと落ちる、 
 綿のやうなもの、雪だ、雪だ。 

 それが君にくれるのは、あゝ、ひとつの安らぎ、ひとつの広がり、 
 雪に埋もれた世界がぼくを弱くさせる。 

 だからこそ最初は小さかつたのに、段々大きくなる憧れが 
 涙を求めてぼくの中へと押し入つてくる。 


2013年3月16日土曜日

(僕は教養主義者でも、原理主義者でも無いが……)


 僕は教養主義者でも、原理主義者でも無いが、いわゆる「古典」というものを大事にする人間だという自覚はある。だからこそ、小説は自分が好きなものだけ読めば良いじゃ無いか、絵や映画も好きなものを観れば良いじゃ無いかと思っているのに出会うと、なんだかなあ、と思う。それは、あまりに自分がそれを好きだということに無自覚だし、あえて人が良いと思うものごとを避けて自分を自分たらしめたいだけではないかと考えてしまう。簡単に言えば、自分が自分である、ということをそうした小説や絵や映画なんかを使って証明したいだけなのであって、実はそれらのものに対して感じることも少ないのでは無いかと疑ってしまう。ただ、大体においてこの疑いが晴れることは無いのだけれど。

 日本にいて、特に原書で本を読もうとしないのであれば、そうした自分づくりは大したことがないんじゃないだろうか。どんな本でも、翻訳を読むと云うことは、すでに認められたものを読むことであり、誰かの目や耳や手を通しているのだから、それでいくら自分づくりをしたって、ぼろぼろくずれる砂の自分にしかならない。
 原書を読めというのではなく、自分づくりに利用するなということ。
 日本の批評、批評と大層な名前を付けなくても何かを評価することに今ではいつでも誰かのものに触れている。それは140文字であったり、ホームページの一コンテンツを成り立たせるくらいであったり様々だけれども、amazonのレビューでも良い、見て思うのは、「好き嫌い」以上のことが書かれていないこと、特に「嫌い」はただの「嫌い」以上を伝えてこないことだ。
 他の国でもそうなのかもしれない、日本だけと云う風に見るのは早急だろうが、もしこれが世界的な現象なら、なんと言葉の貧相で、貧弱で、血の通わない、文章しか無いのだろう。
 「古典」を読まないというのはそういう文章で満足することだ。
 語るだけ語り、何も受け取らないのであれば、その言葉は栄養失調なのだ。だけどそれすら気付いていない、言語の拒食症に陥っている人々は言葉を消化できず、詰め込んで吐いている。そう、ただ吐き出している。つまり嘔吐物をまき散らされて、さらに人々はその嘔吐物を食らい、また嘔吐する、そんな言葉の吐瀉に晒されてなお平気でいる神経が出来上がってしまっているのだ。
 つまり、消化した残りかすでもない。糞便ですらない。

 そんなスカトロジーが御免である私が目指すものは、カニバリズムなのでしょう。異常であることに変わりはないのだけれど。
 言葉のカニバリズムに快楽を覚える必要がある。

2013年3月10日日曜日

カフカの翻訳







 久しぶりの翻訳。本当は「ポセイドンは事務机に座り……」を訳したけれど、もう少し「配置をただしたい」。 
 というわけで、フィッシャーから出ている「批判版作品集」の「遺稿」で一番始めに載っているものを。 





 行き来がある。  別れがあるが、再会は、いつも無い。  プラハ、霜月20日。 フランツ・カフカ

2013年3月7日木曜日

珈琲賛歌


珈琲賛歌


 さて、皆さんもご存じの通り(と云って知っている人などそうそういませんが)、イタリアの家庭には必ずと云って良いほど直火式のエスプレッソマシーンが置いてあり、その八割は髭のひょろっとしたおじさんが目印の「ビアレッティ」です。

 ここからはトリヴィアルな話になりますが、そもそも直火式にはエスプレッソと名前が付いているものの、機械式と比べて気圧が低く出来上がったものは味も香りも違うんですね。
 ヨーロッパでは機械式で作ったものを「エスプレッソ」、直火式で作ったものを「モカ」と呼ぶそうなんですが、そんな違いはあれどヨーロッパ、殊にイタリアではこうした濃い珈琲が親しまれています。

 そんな中、ビアレッティが何とか直火式で「エスプレッソ」に近づけようと作ったのが「ブリッカ」というエスプレッソマシーンです。

 まだ、直輸入されていない商品なので店頭などでは見かけないかもしれませんが、amazonなのでは買うことが出来ます。

 で、これ、前のマシーンと何が違うかというと、珈琲の噴出口に重しを付けることで中の気圧をあげ、より高い気圧で珈琲を出すことが出来るようになっているのです。
 うまく煎れれば、クレマ(細かい泡が浮ぶ、スターバックスのようなエスプレッソ風ではお目にかかれませんが)もできるという画期的な一品。


 なのですが、未だに上手く出来ない。
 ちゃんと出来ることは多くYouTubeなどで動画があがっているので出来るはずなんですけどね。


 それでも、出来上がった珈琲は今までと比べてこってり濃厚(珈琲にその表現はどうかと思うが)で、エスプレッソにより近い味わいになっています。

 機械式は場所をとりますし、良いものは値段も高い。
 このブリッカ、たしかに普通の珈琲器具に比べると値段は割高ですが、持っていて損のない一品だと思います。
 ぜひ一家に一台、いかがでしょう?

 こういうのって、いまダイレクト・マーケティングっていうんですかね。

 ちなみに、エスプレッソはデミタスカップという小さなカップで飲んだ方がいいです。
 あまりがぶがぶと飲むものではなく。
 少量に砂糖を三杯くらいいれて、ちびちびのみ、沈んだ砂糖をスプーンですくって食べるのが、本場の作法です。
 勉強になりましたか?

2013年3月4日月曜日

日常をレトリークすること。


 誇張すること。昔の中国を想起するほどに。

 運動の誇張、私は歩き続けているうちに、一歩は道を跨ぎ横切るほど大きくなる。

 時間の誇張、昼夜三百、水とりんごのみで生きた。

 視線の誇張、余りに近づきすぎてその人の鼻に空いている毛穴に詰まった脂が揺れるのが見える。

 誇張することは、何も見えなくするのだろうかと思ったりしながら、それの方が真実を表している気がする。真実というものがあるものかとつばを散らしてくるものを追い払う。

 見てないものをわざわざ見たふりをして書くよりも、見たものを見たのだと強調するの方がいいんじゃないかと思うので、そうしている。

2013年3月2日土曜日

最終講義を聴きに行く。


 教授の定年が早まり、今年64歳なのですが野家先生が本年度で退官ということで、最終講義を聴いてきました。学生の時に基礎講義を聴いただけである自分が潜り込むように講義室に入ると、今までの教え子なのでしょう教授クラスの御仁がみな受講席に座り、教卓を前にしていまかいまかと云う感じで待っている。なかなか学生さんの姿が見えないのは残念でなりませんが、きっとお手伝いなどをされているからだったのでしょう。 
 まあ、いてくれなかったせいで場違い観が半端なかったなんて不平はいいませんよ、私は。
 さて、 

 タイトルは「無題(untitled)」 

 ということで、何もテーマを決めずに話すのかと思っていたら、なんと、「無題」であることをテーマにしたというこの感じ、最初っからやってくれます。 

 本人としては三題噺を想定していたようなのですが、時間の都合上、 

 1,無-主題論 
 2,無-主語論 

 の二つを講義されました。(残る一つは「無-主体論」でこれは別の場所ですでに講演した内容と重なるため、というのも今回話さなかった理由だそうです) 

 内容は、本当に簡単に言うと。 
 1,私たちはある芸術作品に向きあう時、「題名」を知らず知らずのうちに欲していて(「題名」を持たないものに不安を覚えて)、その「題名」のために解釈を狭めている/強制されている。
 ここには「主語と述語」の関係があり、作品と題名は「問いと答え」の関係にあたる。 
 しかし「無題」であること(これは別に題名が無いだけでなく、無題性、つまり番号だけのもの、宮沢賢治の「作品第1042番」、「シャネル No.5」という香水、と云ったものも含まれる)は、私たちが作品へと近づく時に「謎」を持たせる。つまり「問いと答え」の逆転がそこにあり、さらにはそうした「主語と述語」という関係性そのものを疑う立場へともたらすのである。 

 2,1のような考えを経て、そもそも主語と述語という関係は西洋哲学において存在論が前提としているものであった。「無題」であるということはこの主語と述語という関係に揺さぶりをかけるのであり、つまりそれは存在論への揺さぶりにも繋がるのである。 
 そもそも存在とは何か、その問いは分析哲学でも広く行われており、二極化されている。つまり、なるべく存在であるものを狭めようとするデフレ的存在論(自然科学における唯物的な考え方)、反対により積極的に存在するとよべるものを増やそうとするインフレ的存在論(プラトニズムなど)、この二つである。 
 しかしこの二つの存在論の間を考えてみたい。 
 日本語には主語が無い(三上章の有名な本「象は鼻が長い」に言及)という主張がある。この考えはラッセルの考えにつながる。 
 ラッセルとクワイン、クリプキなどの考えはそれぞれに興味深いがフィクショナルな存在や仮定の中の存在(鼻の低いクレオパトラ)を問題にする時論理の破綻が起こってしまう。 
 こうしたなか「物語り論」的な観点で存在論を見るとどうなるだろう。(「物語り」については野家啓一「物語の哲学」を参考にして下さい) 
 存在というものは科学理論さえも含むあらゆる「物語り」の中で語られるのであり、その中で初めて「シャーロック・ホームズ」や「鼻の低いクレオパトラ」について語る事ができるのではないか。 
 その時存在は「濃度」をもっている。 

 うーん、1の主張はわかりやすいけれど、2は分析哲学の知識が入ってくるので途端に説明が上手く出来なくなる。ちゃんと読もうと思いました。

 ちなみにそのあとディスカッションもしていたのですが、途中で抜けてきてしまいました。 

 野家先生というと、専門は科学哲学と分析哲学の二つを思い浮かべますが、現代哲学全般に詳しい方だと思ってました。 
 その時は、自分もなかなか知識が足りず理解力もなかったので話が掴みづらく付いていくのがやっと、時々負けて舟をこいでしまったこともありました。それから5年以上が経っていますし、自分もそれなりに知識の蓄えが増えてきたので、今回はどうかなという、気持でした。
 結果は、以前よりかは呑みこめたけれども、それについて疑問を突きつける確証が自分にはないなあと云う印象。でも、もし質問を促されたなら、カフカの遺稿と繋げてすこし聞いてみたいなあと思ったりしました。

 たとえば、カフカの遺稿はほとんど題名が付けられておらず、中には題名を付けることでそのおもしろさが半減してしまうものもあるように思われる。 

 ブロートはある遺稿に「橋」というタイトルを付けた。 
 しかし、カフカの文章の書き出し「身が縮み上がり、寒い。」という感覚の描写から、急に「私は橋だった。」という流れに持っていく意外性は、「橋」というタイトルのせいで半減してしまうのではないか、と思う。 
 つまり、「橋」というタイトルによって、私たちは読む前に準備されてしまうのを感じます。という、感想は出てくるんですが、そこからさらに問いに発展できない。これが僕の悪い癖(どこかの杉下さん風に)。

2013年3月1日金曜日

「橋」について



 訳し終わってしばらくたつが、色々と思うに「橋」のichは男性でいいのかもしれないと考える。
 その理由は簡単で、カフカが女によって語ることはしないだろう、と思うからだ。
 今まで見てきた中で、カフカが女性を語り手に選んだものを見たことがないから。

 でも、よく考えて見れば、それはカフカが女性を語り手にするわけがないと、訳者が考えているために、すべての語り手は男であるとして訳されているのかもしれない。


 ただ、日記を読んで、自身のことと、創作が入り乱れている様子を目の当たりにしてしまうと、やはり男と思っていた方がカフカに沿うのではないかと思う。


 そもそも私が誰かなどとはカフカは思わずにichを書いていたのだろうけれども。

カフカの翻訳「中庭の門を叩く」修正


 すこし訳を変えました。
 正しくしたというより、あるべき位置に戻したという感覚です。



 夏の、或る暑い日のことである。私は帰路、妹とともに中庭の門を通り過ぎた。知らなかったのだが、妹は何かの気まぐれ、もしくは不注意で門を叩いたか、叩きはしなくとも拳で脅したかしたらしい。百歩ほど離れたところに、左の方へと行く道があり、それに沿いながら村が始まっている。私たちがどうしようもない内に、いちばん手前の家から人々がやって来て何かしらを伝えようとしていたのだが、その様子は親切ではあるが警戒しており、彼ら自身驚いていて、その驚きに屈服しているようであった。彼らは、私たちがそばを通り過ぎてきた中庭を指さし、中庭の門を叩いたことを思い出させた。中庭の所有者が告訴し、すぐにでも調査を始めるだろう。そんなことは意に介さず、私は妹をなだめた。妹はけして叩いていないだろうし、例え叩いていたとしても、世界中のどこでだってそんなことで訴訟が起こるわけがないのだ。私は人々に自分たちのことを説明しようとした。彼らは話に耳を傾けてくれたが、判断するのは差し控えていた。その後彼らが云うには、妹だけでなく、私もその兄弟として告発されることになるだろう、とのことだ。それに笑って頷く。私たちは皆振り返った。それは遠くの煙に気づいたので、さらに炎も待っているかのようだった。実際に、しばらくして私たちは騎士が開かれている幅の広い門の中へ入って行くのを見たのである。埃が舞い上がり、全てを覆い尽くすなか、ただ槍の先だけが輝いていた。そしてその一隊が中庭に姿を隠したかと思うと、彼らは直ちに馬の向きを変えたらしく、いまや道の上で私たちと対峙している。私は妹を押しやる。ここは私が一人で全てをかたづけるつもりであった。妹は、私を一人残していくことを拒んだ。私は云った、ならばせめて着替えてこい、もっと良い服を着て殿方の前に出るために。ようやく妹は納得し、家への長い道のりを走って行った。すでに騎士は私のそばにおり、馬上から妹のことを尋ねた。不安げに、今はいない、が後で戻ってくる、と答えた。答えなどどうでも良いことのようだ、なにより大事なのは、私を見つけたということなのだろう。そこには主立った人間として二人の紳士がいた。裁判官である若い快活な男と、物静かな助手で、助手の方はアスマンという名であった。私は農家の一室へ入るよう命じられた。ゆっくりと、頭を揺らしながら、ズボン吊りをぐいとひっぱり、私は自分の身をその紳士の鋭い視線の下へ送るのだった。都会人である私がその信用を楯にとり農民たちから自由になるには一言で足りるだろうと、私は未だに信じていた。しかし私が部屋の敷居をまたいだとき、裁判官は飛び跳ねて私の前に立ちはだかり云った。「この男にも困ったものだ。」彼が私の今の状態ではなく、私にこれから起こるであろうことについて考えていることは疑いようがなかった。部屋は農家の一室というよりは刑務所の独房というに相応しかった。大きな石のタイル、よどんだ灰色の、飾りのない壁、そこには鉄の輪がはめこんで吊るしてあり、部屋の中央にあるものはなんとなく、板張りの寝台にも、手術台にも見える。

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 いったい私が刑務所の空気とは別の空気を味わう日など来るのだろうか。これは重要な問題だ。だが多分、私が釈放されるんじゃないかという望みをもっていつづけたなら、それが重要な問題であり続けるのだろう。

2013年2月27日水曜日

カフカの翻訳「中庭の門を叩くDer Schlag ans Hoftor」


 まだピンときてないところが何カ所かあります。 
 ピンときたら直すでしょう。 

 「中庭の門を叩く」 

 夏の、或る暑い日のことである。私は帰路、妹と中庭の門を通り過ぎた。知らなかったのだが、妹は何かの気まぐれ、もしくは不注意で門を叩いたか、叩きはしなくとも拳で脅したかしたらしい。百歩ほどのところに、左へ曲がる道があり、それに沿って村が始まっている。私たちがどうしようもない内に、手前の家から人々がやって来て何かしらを伝えようとしていたのだが、その様子は親切ではあるが警戒しており、彼ら自身驚いていて、その驚きに屈服しているようであった。彼らは、私たちの通ってきた中庭を指さして、中庭の門を叩いたことを思い出させた。中庭の主は告訴し、すぐにでも調査を始めるだろう。そんなことは意に介さず、私は妹をなだめた。妹はけして叩いていないだろうし、例え叩いていたとしても、世界中のどこにも証拠などありはしないのだ。私は人々に自分たちのことを説明しようとした。彼らは話に耳を傾けてくれはしたが、判断するのは差し控えていた。その後彼らが云うには、妹だけでなく、私もその兄弟として告発されることになるだろう、とのことだ。それに笑って頷く。私たちは皆振り返った。それは遠くの煙に気づき、さらに炎を待っているかのようだった。実際に、しばらくして私たちは騎士が開かれている幅の広い門の中へ入って行くのを見たのである。埃が舞い上がり、全てを覆い尽くすなか、ただ槍の先だけが輝いていた。そして一隊が中庭に姿を隠したかと思うと、直ちに馬の向きを変えたようで、道の上で私たちと対峙したのである。私は妹を押しやる。ここは一人で全てをかたづけるつもりであった。妹は、私を一人残していくことを拒んだ。私は云った、ならばせめて着替えてこい、もっと良い服を着て殿方の前に出るためにな。ようやく妹は納得し、家への長い道のりを走って行った。すでに騎士は私のそばにおり、馬上から妹のことを尋ねた。不安げに、今はいない、が後で戻ってくる、と答えた。答えなどどうでも良いことのようだ、なにより大事なのは、私を見つけたということなのだろう。そこには主立った人間として二人の紳士がいた。裁判官である、若い快活な男と、物静かな助手で、助手の方はアスマンという名である。私は農家の一室へ入るよう命じられた。ゆっくりと、頭を揺らしながら、ズボン吊りをぐいとひっぱり、私は自分の身をその紳士の鋭い視線の下へ送るのだった。都会人である私がその信用を楯にとり農民たちから自由になるには一言で足りるだろうと、私は未だに信じていた。しかし私が部屋の敷居をまたいだとき、裁判官は飛び跳ねて私の前に立ちはだかり云った。「この男にも困ったものだ。」彼が私の今の状態ではなく、私にこれから起こるであろうことについて考えていることは疑いようがなかった。部屋は農家の一室というよりは刑務所の独房というに相応しかった。大きな石のタイル、暗く、まったく飾り気のない壁、そこには鉄の輪がはめこんで吊るしてあり、部屋の中央にあるものはなんとなく、板張りの寝台にも、手術台にも見える。 

 …………………… 

 いったい私が刑務所の空気とは別の空気を味わう日など来るのだろうか。これは重要な問題だ。だが多分、私が釈放されるんじゃないかという望みをもっているのなら、それが重要な問題であり続けるのだろう。


 今回は、ちくま文庫から出ている「カフカ・コレクションⅡ」を参考にしました。といっても、訳し終えてからひさしぶりに読み返しただけのですが。訳者の柴田翔さんは、どちらかというと池内さんよりの訳しかたをする人ですね。やはり、カフカの書くことが書かれたものになっています。
 自分としてはなるべく、「書くこと」を残すような形で訳したいのですが、非常に難しい。

 意見がありましたらコメントいただけたら幸いです。
 参考にさせていただきます。



 訂正(平成25年2月28日(木)):
 基本的に古本屋で買ったブロート版の「短篇全集」を使っているのですが、ちょうど今日批判版が届いたので読んでみたら、コンマの位置とか違っています。まあそれはいいのですが、二箇所単語が変わっていました。ちょっと訳を変えます。

 ①
 例え叩いていたとしても、世界中のどこにも証拠などありはしないのだ。
→例え叩いていたとしても、世界中のどこにもそんなことで訴訟が起こることなどありはしないのだ。

 ②暗く、まったく飾り気のない壁→よどんだ灰色の飾りのない壁

 ②は特にイメージが変わるわけではないのだけれども、①はちょっと問題。イメージがすこし変わってくるから。

2013年2月21日木曜日

カフカの翻訳「サンチョ・パンサに関する真実」



 今回のは、自分でもあんまし上手くないなと思います。
 あまりにごちゃごちゃしていてピンとこなかった。
 訳し終えてから池内さんの訳読んで、あ、うまい、と思った。

 池内さんの訳はうまいです。
 ただ、やっぱりカフカが書いたものが「小説」になってしまっているのがいけない。
 つまり、書くという意志が削がれて「書かれたもの」になってしまっている。
 その磨きがうまいから、ひとつのダイアになった、ともかんがられるけれども、
 カフカの書いたものはそもそもそうしたダイアをみがく砂のようなものである気がするのです。


 サンチョ・パンサは、ところで一度も自慢したことはないが、長い年月の間、騎士道小説や強盗小説を夕方や夜の時間に多く読むことで、後にドン・キホーテと名前をつけることになる、彼の悪魔をつかって自分がやろうとしていた放埒で気の狂った行為をさせることに成功した。悪魔のやるそうした行為は、本当ならばサンチョ・パンサがそうであるべきだったのだろうが、向けられる相手があらかじめ決まっていなかったために誰も傷つけることはなかった。サンチョ・パンサ、この自由な男は、黙々と、ひょっとしたらなんらかの義務的感情を胸に抱きながら、ドン・キホーテの行く道を付き従い、そしてドン・キホーテが最期を遂げるまで盛大で有益な楽しみを享受したのである。


 ちなみに池内訳を読んでかなり訳が変わりました。

 意見等ありましたら、コメントよろしくお願いします。

2013年2月19日火曜日

カフカの翻訳「橋 die Brücke」



 ちょっと難しい。 
 何が難しいかというと「ich」についてだ。一人称。ただの一人称。 
 普通なら「僕」とか「私」と訳してしまう。 
 ただ、この一ページにも満たない短篇の一人称を決める、その決め手がないのだ。 

 迷ってしまった理由は一つ「der Rock」という単語のせいである。 
 これの意味は二つ。 
 1,男の上着 
 2.スカート 
 どうしたものか。 
 これはとりあえず二とおりに訳してみるしかなかった。 

 まずはich=男バージョン。

 身がこわばり、寒い。私は橋だった。底知れぬ深い谷にまたがっていた。手足をぼろぼろとくずれる粘土質の土に突き刺し、必死にしがみついている。私のコートの裾が風になびいている。底の方ではニジマスのいる凍える河がうなりをあげていた。こんな道もない高いところに迷って来るような旅行者は一人もいないから、私という橋が地図に描かれることはない。――だから、横たわり、待った。待たねばならなかった。崩れ落ちでもしなければ、一度建てられた橋は、橋であることを辞めることは出来ないのだ。 
 やがて夜になった。――これが最初の夜なのか、千度目の夜なのか、私には分からなかった――私の思考はいつもこんがらがり、同じところをぐるぐる回っていた。夏の夜になり、川がこもった響きをたてるころ、人の足音が聞こえた! こっちへ、こっちへと。――さあ伸びをしろ、橋だろう、身を正せ、橋桁に手すりが付いていないのだから、自分に身を任せてもらえるようにしろ。頼りない足取りを自分でも気付かないうちに正そうとして、それでもふらついてしまったなら、お前は自分を気付かせるんだ、そして山の神のように彼を地に放り投げてやれ。 
 彼はやって来ると、先に鉄の付いた杖で私を叩いて調べ、コートの裾を持ち上げると私の上で整えた。私の濃い髪の毛に杖を突き刺し持ち上げたかと思うと、中にそのままにして、おそらくあちこちを見回している。そうしていたら――私は彼がこれから山を越え谷を越えていくところを夢想していた――彼は二本の足をつかい私の身体の真ん中で飛び跳ねたのだった。激しい痛みに身震いし、一体何が起こったのか分からずにいた。こいつは誰なんだ? 子供か? 幻覚か? 追いはぎか? 自殺者か? 誘惑者か? 破壊者か? 私は身をひねった、彼を見るためにだ。――橋が身をひねる! 実際には身体をひねることなく、落ちていた。私は落ちたのだ。そしてすでにばらばらになっていた。鋭い小石が私に刺さっていた。小石は私のことを激しく流れる水の中から穏やかに見ていてくれていたのだった。 


 次は女バージョン。 

 身体が冷えてすくんでしまう。私は橋。深い深い谷の上に掛かっている。こっち側をつまさきで、あっち側を手で突き刺して、ぼろぼろにくずれてしまいそうな土を掴んで必死に落ちないようにしている。スカートの裾が風にはためく。底ではニジマスがいる凍った川が大きな音をたてる。こんな道もない高いところに迷ってやって来る人なんていないだろうから、橋が地図に書かれることはない。ーーだから私はここで待っている。待つしかなかった。一度建った橋は、壊れない限り自分が橋であることを辞めることはできませんし。 
 夜になった、ーー最初だっけ、それとも千度目だっけ、わかんないーー私の思考はいつもぐちゃぐちゃで、いつもぐるぐるしてる。夏の夜になって、川の音がこもっていた。誰かの足音! こっちの方に、こっちの方に来る。ーー手足を伸ばしなさい、橋なんだから、しっかりしなさい、私には手すりがないでしょ、身を任せてもらえるようにしなくちゃ。ふらふらの足元で無意識にバランスをとるから、それでももし落ちそうになったら、その時は気付いてもらって、山の神さまみたいに地面に放り投げちゃおう。 
 彼が来た、尖った先に鉄の付いた杖で私を叩く、スカートの裾を持ち上げて、直してくれる。量の多い髪の毛に杖を突っ込んで持ち上げたと思うと、長いあいだ刺したままにして、きっとあちこち見回しているのだろう。するとーー私は彼がこれから山を越え谷を越えていくことを考えていたーー彼は二本の足を使って私の体のうえで飛び跳ねだしたのだ。とても痛くて震えてきて、いったい何なのか分からなかった。この人はだれ? 子供? 夢でも見ているのかしら? もしかして追いはぎだったりして? 自殺者かも? 誘っているのかな? 壊そうとしているのかも? 私は彼を見るために体をねじった、ーー橋が体をねじったのよ! でもそんなこと出来るわけなくて、落っこちてた。そう、私は落ちたの。それでもうばらばらになってた。尖った小石があちこち突き刺さってた。その小石はすごい勢いで流れる水の中から私をじっと見ていたんだった。 


 なんかね、女性にするとね、どうしても性的なイメージがつきまとってしまう。 
 フロイトのせいだね。 

 たぶん、女というイメージは「橋 die Bruecke」が女性名詞であることも関わっているのかもしれない。 

 意見等ありましたらぜひコメント下さい。

 追記
 やはり、これは男をイメージすべきだ。詳しくは、「橋」についてを参照。

2013年2月14日木曜日

カフカの翻訳「ことわりの前では Vor dem Gesetz」


普通は「掟の門前」などと訳される最も有名な作品の一つです。
ご指摘などあれば、コメントいただけると嬉しいです。






「ことわりの前には」




 ことわりの前には門番が立っている。この門番の処へ男が田舎からやって来て、ことわりの中へ入りたいと云った。しかし門番は云う、入れることは出来ない。男はその言葉をよく考え、それから聞いた、それじゃ後からなら入っていいのかな。「多分」、と門番は答える、「今は駄目だが。」ことわりへとつながっているこの門は開いたままであり、門番はその脇へと歩いていくので、男は中を見ようとひょいと身をかがめて門の向こうを覗く。それに気付いた門番が笑って、「そんなに気になるのなら、俺が止めるのを聞かずに入ってみなよ。ただ覚えとけ、俺は強い。そんな俺でも一番格下だ。広間からつぎの広間へ続くところにはそのたびに門番がいて、そいつは前にいるやつより強いんだ。三番目の門番を見ただけでも俺だって耐えられない」、と云う。そんなに面倒くさいなんて男は田舎で考えもしなかった。ことわりは誰にでも、いつだって開かれているべきだと、彼は考えていたのだが、今こうして毛皮のコートを着た門番の鋭い鼻や、細長く黒いタタール髭に注意を払って見ていると、通行許可が降りるまで待った方が良さそうだと腹をくくった。門番は椅子を持ってきて、男を門の脇に座らせる。そこで、何日も、何年も座っていた。入るためにいろんなことをする、門番はその懇願にうんざりしている。門番はかれに色々とつまらない質問をした。故郷のこととか、その他もろもろのこと。でもそれはえらい人たちがやるような気のない質問だったし、最後は結局、まだ入っては駄目だ、がいつものことだった。男はこの旅のためにいろんなものを持ってきており、全てを利用した。それらがどんなに門番にこびへつらうため役立ったというのだろう。門番はその全てを受け取ったが、その都度、「受け取ってやる、でもそれはお前が後になって、あの時やっておけば、と思わないようにするためだからな」と云うだけだった。門番をほぼ絶え間なく観察するうちにまた長い年月が経つ。他の門番のことは忘れ、この門番がことわりへ進むための最初で最後の障害であるように思えてくる。この不幸な事態を呪って、最初の一年は傍若無人に五月蠅くしていたが、歳をとると、ぶつぶつと何かを云うだけになった。子供っぽくなり、長年の門番研究で襟にいる蚤のことまで見分けていたから、そんな蚤にまで、自分を助け門番の気持を替えてくれるよう頼む始末である。男の目は弱くなり、周りが実際暗いのか、それとも自分の目がそう見せているのか、彼には分からなくなっていた。それでも暗闇の中で、ことわりの門の方から消すことの出来ないくらい光が輝くのをはっきりと見分けた。彼はもう長くないのだ。死の直前、彼は頭の中で、ここに来てから経験した全てのことを一つの問いへと収束させた。それは今日まで門番には質問したことのないものだった。體がこわばって立ち上がれず、手招きで門番を呼んだ。門番は深く體を屈めなければならない。男と門番の大きさがあまりに違ってそのままでは不都合だったからだ。「今更これ以上、何を知りたいと云うんだ。貪欲なやつめ。」「あらゆるものはことわりを求めているんだよな」、と男は云う。「それなのにどうして、長年僕がここにいる間、誰もここへやって来ないんだ、どうして門を入ろうとしないんだ。」門番には、もう男が死ぬことが分かっていた。消えゆく聴覚に届くよう、門番は大声で言う。「ここは誰でも入って良いわけじゃない、なぜならこの入り口はお前のためだけのものだったんだから。俺はもう行くよ、ここを閉めるんだ。」



 3月1日:すこし修正を加えました

2013年1月26日土曜日

古典的小品 2

第二弾、出来は良くない。

 頭を掻きながら、次第に心拍数の上がるのを感じて、くそっ、と口汚く言葉が自分自身の中から出てしまうのを抑えることが出来ずにいることが女にとっては不思議でならない。私はそんな女じゃない、私は、そんな女じゃない、繰り返すように呟きながら、角から角へ歩き回っている。そんなことをしても、中心にあるそれから目を離すことができず、どうしてもそれを見てしまう。
 それは、数時間前ならそこらを動き、呼吸し、私を愛撫し、そしてなにより優しい言葉をかけたはずだった。
 はずだった、というのは今までそれが一度も行われたことがないからである。女はしかし、いつか、そんな一連の甘やかな出来事が行われるのだと信じて日一日、夜一夜を過ごしてきたのだった。そうして女が過ごした月日というのは、数えるのが酷というものだろう。そうした月日は彼女にとってどれほどの価値があるかを想像することは出来ない、なぜならわれわれはここでこうして歩き回る女にはなれないのだから。
 女は窓側の隅にある観葉植物にぶつかった。その葉の一枚一枚がそれぞれ不規則に揺れたが、一斉にその動きを止めるのを、見るとも無しに見てようやくそれから目を離すことができたことに安堵しながら、その一葉を引き抜くのだった。買ってあげたのは一昨年だったか、この部屋に置かれた時から私の記憶から消えていたけれども、枯れていない、毎日水をやっていたのかしら。女の考えていることは大体このようなことであるのだろう、じっと引き抜いた葉の先の尖った部分が気になっていたようで、不意にその葉を筋に沿って裂きだしたのだった。
 一本一本裂いたその筋を女は手放した。するとその筋はどれもが、まんなかへひらひらと落ちていくのだった。
 そろそろと真ん中では水たまりのようにそれの一部から広がっていくものに、裂かれた葉は染まるのだった。
 全てを咲き終えて女はのどの渇きを感じるのだった。腔内が粘ついて呼吸しづらさに指を突っ込み気道を開いた。咳き込んだ女の吐く息は部屋を満たす。女は自分自身の中から出てきた息に耐えられないと思った。
 女は部屋を飛び出した。それでも彼女の吐いた息に纏わる臭いが追いかけてくる。女は必死でそれから逃れようと遠くへ、遠くへと走るのだった。

 部屋は静かになった。残ったそれを包む布は白かったものがほとんど赤くなっていた。白が残っている布の端は一瞬揺れたように思えたが、それが気のせいなのかどうかは誰にも分からない、なぜならそこには一個の「もの」があるだけなのだから。

古典的小品 1


 即興小説トレーニングというもので30分で書上げた掌編。 
 タイトルは、未定。 

  ○ 


 その日、彼は家に一日いたのだが、特に何をするわけでもなく、怠惰にすごしていた。 
 彼には、ひとつの思いがあった。それをかなえるために彼は生きているようなものであった。それでもこの思いは遠く、あらゆる道はその思いにつながっているにもかかわらず、どの道さえも歩むことが困難であることを知らないものはない。あるひとつの道を見つけたとして、すぐにそれが別の道と分かってしまうほどに、彼はその思いを持ち続けて生きていた。 
 ある日、彼の家に友人が訪ねてきた。友人は顔色がすぐれず、どうやら重い病であることがうかがえた。そこにあるのはひとつの「もの」であると思えるほど、その精神は朽ちかけていた。友人は一匹の魚を手土産にした。生き生きとした青い魚で、ついさっき捕ってきたかのようだが、友人は漁師ではないし、海も近くない。どこで買ってきたかをたずねても、ただ曖昧に笑うだけで答えようとしない。 
「さばいてくれよ」 
 友人は頼んだ。彼は特に料理を仕事としてはいなかったが、日々の生活のため致し方なく行うものに手を抜かない人間であったため、それなりの技量が身についていた。魚をさばくのは久しぶりであったが諾すると、その魚を受け取った。目方よりもずいぶん重く、まな板へ乗せた後も、手には重みがまだ残っているように感じられた。 
 しばらくして、皿の上には無骨まではいかないが見目を気にせずに切られた刺身が盛られている。食えればいいのだと、ひとりごちながら友人の前に差し出すと、いってらあと茶化す顔にはどことなく失われた生気が戻っているように見えたが、それでも唇に血を感じることはできなかった。 
 食う段になって彼は醤油を切らしていたことに気づいた。友人は買ってくるという。 
「大丈夫か」 
 彼はいうつもりの無い言葉を友人にかけた。友人は、なに、ここに来る前に店は見た、駅への道の二つかどを曲がったところにあるだろう、あそこに売ってるよな、うん、分かった、じゃあ、行ってくるよ、と家を出て行った。彼は自分の言葉をそんなふうに友人がとったことがありがたかった。 
 帰ってくる前に、残っているあらの方をどうするか考えた、汁にでもするか、大根と煮るか、とりあえず洗っておこう、蛇口をひねり勢いよくでる水にぬるりとした頭を晒した。その皮膚を指でこすりながら、白く濁りでよどむ目玉を見ていると、二度死んだ魚、二度死んだ魚、と魚が自分を名づけているような気分になるのだった。 
「そうだなあ、魚。お前は二度死んだあと、俺らに食われるんだからまだいいよ。俺たちなんか二度死んだって何にもならん。俺たちが二度死ぬにはいろいろやり方があるんだが、どれだって何もならん。つまらんなあ」 
 洗いおわり水気をふき取りながら、時計を見る。もう戻ってきてもと思ったが、友人は帰ってきていない。早くしないと、刺身がだれてしまうじゃないか。彼はサンダルをはき、玄関を開けて外を見た。いつもどおり人気が無く、日は傾いてすっかり暗かった。 
 そのとき、彼は道の少し離れた脇の道がほんのり光っているように思った。その瞬間、彼はそこに向かって歩いている自分を知った。見つけたのだと思った。 

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 友人が、いやあ参った、ひとつ道を間違えたせいで、まったく別のところに出ちまった、おかげで店を探すためあちこち行ってしまったよ、なあ、といいながら居間に入ってきた。 
 彼の姿は無く、皿の上の刺身の横には、頭が分けられておいてあった。目玉ににごりは見られなかった。