最近少しずつではあるが「観察」を翻訳している。
この小品は、すでに一ヶ月前には完成していた。
けれども、次がなかなか続かない。
ややこしい文章である。短いからこそ、文脈がとりづらい。ただ、どの文章もなんとなく突然はじまり、突然終わる印象がある。はじめて公に出たカフカ、ほとんど見向きもされなかったカフカ。
庭の柵に沿って馬車が走るのを聞き、微かに揺れる葉の間からそれを見た。暑い夏には車輪の軸やスポークの木があんなに鳴るんだな。畑から働き終わって帰ってくる人たちが笑っているけど、なんだかこっちが恥ずかしくなる。
両親の家の庭に生える樹々の中で、小さなブランコに座って休んでいるところだった。
柵の前が静かになることはない。子供らがつかの間、駆け足で去って行ったり、穀物の束の上に男女を乗せた馬車が花壇へと影を差すと、その辺りが薄暗くなったりする。夕方になるとステッキをもった一人の紳士がのんびり散歩をするし、そこへ互いに腕を絡ませた少女らが向かいあえば、彼女達は挨拶をしてわきの草むらへ退く。
鳥が飛沫のように舞い上がるのを目で追うと、一気に昇っていくように見えたので、鳥が昇った、ではなく、自分が落ちた、と思い、気付けばしっかりと綱を握り、ゆっくりと少しずつブランコを揺らし始めていた。しばらくして揺れが大きくなったときには、空気はもう冷たく吹いており、飛ぶ鳥に代わって震える星が姿を現した。
ろうそくの灯りのそばで夕食をとることにした。何度も両腕をテーブルの上へ投げ出してしまいながら、とっくに疲れてきっているけれども、バターパンを噛む。目の粗い透かしの入ったカーテンが暖かな風に膨らむと、ときおり表を通り過ぎつつ、それをつかみ取るのがいる。もっと顔をよく見て話をしたいと思ったのだろう。ろうそくは大抵すぐ消え、黒っぽいその煙のただようなかで、しばらく一群れの蚊が忙しく動き回っている。誰かが窓から声を掛けてきたなら、じっとみてしまうだろう。山々か、もしくは新鮮な空気の中で見る時と同じふうに、答えることも多くなく。
そのうち一人が窓枠を飛び越えて、もうみんな家の前にいるよ、と言うから、もちろん溜息をついて立ち上がった。
「ねえ、何でそんな溜息ついてるの。何があったの。何か特別な、けして良くならない不幸なことでも起きたの。もう立ち直れないの。本当に希望なんて全くなくなったの。」
希望が無いなんて、そんなことはなかった。家から走り出ていた。「もう、やっと来たね。」―「君はいつも遅れるんだから。」-「なんで僕だけ。」-「特に君だよ、来たくないなら、家に残ればいいのに。」-「そんな、ひどいよ。」-「ひどい、って。何言ってるの。」
頭で夜を突き抜けた。昼も夜も無い。歯のようにチョッキのボタンは擦れて鳴り、互いが互い、距離をとって走っていると、熱帯の動物のように口の中は火に溢れた。古き戦の騎士みたいに、足を踏み鳴らしながら外の高いところへ、互いにせっつきながら短い道を一度は下っていき、その勢いで足がもつれるのも構わず国道を駆け上がっていく。ひとりひとりが道の横溝を進み、暗い斜面を前に見えなくなったかと思うと、すでに見知らぬ人々のように畑道に立って、こちらを見下ろしている。
「降りてきなよ。」-「まずは昇ってこいよ。」-「突き落とす気なんだろう、やだよ、それくらい頭が回るんだから。」-「それに自分たちは臆病者だし、そう言いたいのかい。いいから来いって、来いってば。」-「なんだい本当に、君たち、君たちが突き落とそうって言うのなら、どんな目に遭わせてやろうか。」
突撃を仕掛けたら、胸を突かれ横溝の草の中に横になっていた。落ちたのだ、自分から。全てが同じくらい熱を持っている。草の中で、熱さも、肌寒さも残ってはいなくて、ただ、疲れてしまっている。
右の方に寝転び、手に頭を乗せれば、よく眠れそうだ。確かに頭を上げてもう一度起き上がりたいと思うんだろうけれど、その為にはもっと深い溝に落ちなきゃいけない。それから、大の字になり、足に斜めに吹く風を感じながら、この空に向かって身を投げ出したとして、それは結局、それ以上にもっと深い溝に落ちることになるだけだ。それでも、やめようとは思ったりしないだろう。
最後の溝にはまってもうただ眠るため目一杯に伸びをするかのように、特に膝をのばす、なんて思うまもなく横になる。泣きたくなって、病気の時みたく身体を仰向けにする。
月は幾らか昇り、一台の郵便馬車が光を浴びて通り過ぎる。弱くなってきた風がそこらを吹き上げるのを溝の中で感じ、近くで森がざわつきはじめる。そこにはもう、独りだ、ということしか無い。
「どこにいるの。」-「こっちだよ。」-「みんないるんだ。」-「隠れるなんて、無駄なことはやめなよ。」-「郵便馬車はもう行っちゃったのかな、知らない。」-「知らないなあ、行っちゃったの。」-「もちろん、君が寝てる間に、走ってったよ。」-「寝てたって、そんなの嘘だあ。」-「ま、静かにしてな。だってそう見えたんだ。」-「そんな。」-「行こうよ。」
一緒になって寄り添いながら走り、みんなが互いに手を取った。頭をあまり高くしないでいたが、それも道が下っていたからだ。誰かがインディアンみたいに鬨の声を上げた。脚を今までに無いくらいにギャロップにする。跳べば腰を持ち上げる風。誰も止めることは出来ない。それは走っている最中、追い抜く時に腕を組んだり、遠慮無く振り返って見たりできるほどだった。
渓流に架かった橋の上で立ち止まると、先の方へ行っていたのが、戻ってきた。まるで夜更けを感じさせないほど、水は石や木の根にぶつかる。それが理由というわけでは無いのだろうけど、誰かが欄干の上で飛び跳ねることは無かった。
茂みの後ろから遠く鉄道列車が走り来て、硝子窓が下ろされたその各席には灯りが点いていた。一人が流行りの歌を歌い始めると、みんな歌いたくなった。列車が行くよりずっと大声で歌い、それでも足りずに腕を振る。声を出しながら気の置けない集まりの中へ行く。声が別の声に混ざると、釣り針にひっかかったみたいだ。
だから歌った、森を背に、遠くの旅人の耳に届くように。大人たちは村でまだ起きていて、母親たちは夜のためにベッドを整える。
もうその時間だ。近くに立っていた子にキスをして、隣にいた子の三人にだけ握手をした。そして来た道を戻り始めた。誰も呼び止めはしなかった。姿が見えなくなったにちがいない最初の十字路で道を曲がり、畑道を通って再び森の中へ入った。南の町へ向かっていた。その町では村のことをこんな風に話していた。
「村にいる奴らってさ、眠らないらしいよ。」
「一体どうしてさ。」
「疲れないからさ。」
「なんでだよ。」
「馬鹿だからだよ。」
「馬鹿は疲れないの。」
「馬鹿が疲れるもんか。」
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