2012年7月27日金曜日

哲学って何?ともし高校生あたりに聞かれたら、まず言おうと思うこと。



哲学って、何?
って考えたことがありますか?

カントやヘーゲル、マルクスやハイデッガーとか色々な哲学者がいて、みんな小難しいこと言ってるんですけど。
だから、みんな敬遠してしまいがちなんだとおもうんです。

それは、多分哲学が何を目指しているかが分からないからなんだとおもうんですよね。
じゃあ、哲学って何を目指しているのかというと、

「いまこうやって生きている私がいなくなっても、ずっとありつづけるものって何だろう?」に答えを出す

ってことなんです。
で、そういうことを目指すんじゃなくて、

「今生きている私にとって○○はこんな意味なんだ。」

に向かうのは哲学じゃなくて「思想」なんです。

だから、今は哲学者はほとんどいなくて思想家が多い。
フロイトなんかはある意味「思想家」なんです。
彼は、私にとって「心」とはこういうものなんだということを語っている。

いま、頭が良いと言われている人がよく引き合いに出してくる、
フーコーやデリダ、バルトみたいな人たちはあくまでその人たちにとっての『世界』を語っているってことを忘れちゃ行けない。それを『哲学』として見ると、どうしても見方がずれると思うんです。哲学があくまで厳密な学問としてあるとすれば、思想はそうじゃない。そして、そうじゃないからこそ、思想は読む価値があるんじゃないかと僕はそうおもいます。

2012年7月7日土曜日

ぼくのプロポ 003

  ○ 

 ぼくはただ当たり前のことを書くだけなのだ、正確な筆記を以て。 
 その当たり前を読まない人は、ただ踊り、歌い、食物を食い、眠りを貪り、己の享楽をのみ大事としている。残念でならない、彼らのために書いた文章はすべて、彼らの尻の下に敷かれ、その汗で滲んでいる。 

  ○ 

 何を求めているのか、知らない。高い塔の上で書物に囲まれ生きる老隠者のように、ひっそりと、黙々と、知識を得る人よ。知識は、死と同時に消滅する。何のために知を得るか。 

  ○ 

 一人の狙撃手のように。言葉を狙い撃つ。若々しいのも、老いたのも、狙撃手の前では同等、そこには生か死のどちらかしかない。死の宣告もなく、殺される言葉はなるべくしてなったのか、はたまた偶然か。 

  ○ 

 どうしても生活のレベルというものは下げにくいもの。例えそれが、100円のお菓子を買わないことでも。「いままで」が「これから」と結びついてこそ「今」があるのだという、人間の無意識な生き方がそうさせるのかもしれない。如何に100円のお菓子を買うことと買わないことを結びつけるか、それが問題です。 

  ○ 

 問は答えを選ばせる。問われた私たちは答えの選択を迫られる。その時の態度が私である。私たちは問うことばかり考える、問われなければならない。まなざすのではなく、まなざされること。まなざしかえすこと、時に逃げること。私がその中にいる。 
 

短文「停滞の日」

 怠惰とは違う停滞を味わいながら、人に文句の云われない程度の酒をたしなんでいた。酒の表面にほこりのように積もるそれのせいで中々呑みこめない、そんな日だった。普段は氷を入れるグラスもその日は入れず、とろとろとした温みを含んだ液体を胃に流しこもうとすると、粘り気のあるみたいに入っていかない。それもこれもこの停滞のせい、すべてはそう……、とその時は考えていた。 

 苦しい、と云う訳ではなく、ただ、ただ、何もない、本当に、と自問しても、返ってくるのは、本当に。自分の心がそう思っているのだ、いくら聞いても答えは同じに決まっている、変化のない自分と自分の問答、はなから質問なんてこれしかない、本当に。 

 もうたいくつかすらも分からない。全てのことから自分を切り離して、残るものが自分ではなく、たいくつであるなら、自分こそがたいくつなのだから、たいくつを感じると云うのは、自分を感じることであり、結局たいくつが自分であり続ける以上、そこにあるたいくつは自分。手にもったグラスも、中にある酒も、たいくつであり、自分だ。そんな考えがぐるりぐるりとまわった。

高橋源一郎「『悪』と戦う」

ぼくというひとが大人になって私になっても、ぼくはぼくのままなのかなあ、と思うことがある。
大人になるってこと自体がピンと来なかったら、この問題はいつまでたっても答えられない。でも。大人になるってこういうことだって分かったなら、それはもう大人なんだろう。だから、ぼくはなにも答えられないでいるんだ、と昔思ったものだ。
すでに、私は大人になってしまった。もう子供には戻れない、あの、何も知らなかったころには戻れない、驚きが少なくなり、答えが一つになっていく、それを人は成長と言うけれども、本当に成長が素晴らしいことなのだろうか。

無題


今日母のような人に会った 

母のような人は度々泣いた 

ぼくのために泣くのだった 

そんな母のような人の横で寝転びながら 

ぼくはこの人のために真夜中来ることができない 

恋人への詫びを考えていた 

そんなことを考えていた