2013年1月26日土曜日

古典的小品 2

第二弾、出来は良くない。

 頭を掻きながら、次第に心拍数の上がるのを感じて、くそっ、と口汚く言葉が自分自身の中から出てしまうのを抑えることが出来ずにいることが女にとっては不思議でならない。私はそんな女じゃない、私は、そんな女じゃない、繰り返すように呟きながら、角から角へ歩き回っている。そんなことをしても、中心にあるそれから目を離すことができず、どうしてもそれを見てしまう。
 それは、数時間前ならそこらを動き、呼吸し、私を愛撫し、そしてなにより優しい言葉をかけたはずだった。
 はずだった、というのは今までそれが一度も行われたことがないからである。女はしかし、いつか、そんな一連の甘やかな出来事が行われるのだと信じて日一日、夜一夜を過ごしてきたのだった。そうして女が過ごした月日というのは、数えるのが酷というものだろう。そうした月日は彼女にとってどれほどの価値があるかを想像することは出来ない、なぜならわれわれはここでこうして歩き回る女にはなれないのだから。
 女は窓側の隅にある観葉植物にぶつかった。その葉の一枚一枚がそれぞれ不規則に揺れたが、一斉にその動きを止めるのを、見るとも無しに見てようやくそれから目を離すことができたことに安堵しながら、その一葉を引き抜くのだった。買ってあげたのは一昨年だったか、この部屋に置かれた時から私の記憶から消えていたけれども、枯れていない、毎日水をやっていたのかしら。女の考えていることは大体このようなことであるのだろう、じっと引き抜いた葉の先の尖った部分が気になっていたようで、不意にその葉を筋に沿って裂きだしたのだった。
 一本一本裂いたその筋を女は手放した。するとその筋はどれもが、まんなかへひらひらと落ちていくのだった。
 そろそろと真ん中では水たまりのようにそれの一部から広がっていくものに、裂かれた葉は染まるのだった。
 全てを咲き終えて女はのどの渇きを感じるのだった。腔内が粘ついて呼吸しづらさに指を突っ込み気道を開いた。咳き込んだ女の吐く息は部屋を満たす。女は自分自身の中から出てきた息に耐えられないと思った。
 女は部屋を飛び出した。それでも彼女の吐いた息に纏わる臭いが追いかけてくる。女は必死でそれから逃れようと遠くへ、遠くへと走るのだった。

 部屋は静かになった。残ったそれを包む布は白かったものがほとんど赤くなっていた。白が残っている布の端は一瞬揺れたように思えたが、それが気のせいなのかどうかは誰にも分からない、なぜならそこには一個の「もの」があるだけなのだから。

古典的小品 1


 即興小説トレーニングというもので30分で書上げた掌編。 
 タイトルは、未定。 

  ○ 


 その日、彼は家に一日いたのだが、特に何をするわけでもなく、怠惰にすごしていた。 
 彼には、ひとつの思いがあった。それをかなえるために彼は生きているようなものであった。それでもこの思いは遠く、あらゆる道はその思いにつながっているにもかかわらず、どの道さえも歩むことが困難であることを知らないものはない。あるひとつの道を見つけたとして、すぐにそれが別の道と分かってしまうほどに、彼はその思いを持ち続けて生きていた。 
 ある日、彼の家に友人が訪ねてきた。友人は顔色がすぐれず、どうやら重い病であることがうかがえた。そこにあるのはひとつの「もの」であると思えるほど、その精神は朽ちかけていた。友人は一匹の魚を手土産にした。生き生きとした青い魚で、ついさっき捕ってきたかのようだが、友人は漁師ではないし、海も近くない。どこで買ってきたかをたずねても、ただ曖昧に笑うだけで答えようとしない。 
「さばいてくれよ」 
 友人は頼んだ。彼は特に料理を仕事としてはいなかったが、日々の生活のため致し方なく行うものに手を抜かない人間であったため、それなりの技量が身についていた。魚をさばくのは久しぶりであったが諾すると、その魚を受け取った。目方よりもずいぶん重く、まな板へ乗せた後も、手には重みがまだ残っているように感じられた。 
 しばらくして、皿の上には無骨まではいかないが見目を気にせずに切られた刺身が盛られている。食えればいいのだと、ひとりごちながら友人の前に差し出すと、いってらあと茶化す顔にはどことなく失われた生気が戻っているように見えたが、それでも唇に血を感じることはできなかった。 
 食う段になって彼は醤油を切らしていたことに気づいた。友人は買ってくるという。 
「大丈夫か」 
 彼はいうつもりの無い言葉を友人にかけた。友人は、なに、ここに来る前に店は見た、駅への道の二つかどを曲がったところにあるだろう、あそこに売ってるよな、うん、分かった、じゃあ、行ってくるよ、と家を出て行った。彼は自分の言葉をそんなふうに友人がとったことがありがたかった。 
 帰ってくる前に、残っているあらの方をどうするか考えた、汁にでもするか、大根と煮るか、とりあえず洗っておこう、蛇口をひねり勢いよくでる水にぬるりとした頭を晒した。その皮膚を指でこすりながら、白く濁りでよどむ目玉を見ていると、二度死んだ魚、二度死んだ魚、と魚が自分を名づけているような気分になるのだった。 
「そうだなあ、魚。お前は二度死んだあと、俺らに食われるんだからまだいいよ。俺たちなんか二度死んだって何にもならん。俺たちが二度死ぬにはいろいろやり方があるんだが、どれだって何もならん。つまらんなあ」 
 洗いおわり水気をふき取りながら、時計を見る。もう戻ってきてもと思ったが、友人は帰ってきていない。早くしないと、刺身がだれてしまうじゃないか。彼はサンダルをはき、玄関を開けて外を見た。いつもどおり人気が無く、日は傾いてすっかり暗かった。 
 そのとき、彼は道の少し離れた脇の道がほんのり光っているように思った。その瞬間、彼はそこに向かって歩いている自分を知った。見つけたのだと思った。 

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 友人が、いやあ参った、ひとつ道を間違えたせいで、まったく別のところに出ちまった、おかげで店を探すためあちこち行ってしまったよ、なあ、といいながら居間に入ってきた。 
 彼の姿は無く、皿の上の刺身の横には、頭が分けられておいてあった。目玉ににごりは見られなかった。