2016年10月10日月曜日

ドイツ語で読む「変身」 その3

○本文
Gregors Blick richtete sich dann zum Fenster, und das trübe Wetter – man hörte Regentropfen auf das Fensterblech aufschlagen – machte ihn ganz melancholisch. "Wie wäre es, wenn ich noch ein wenig weiterschliefe und alle Narrheiten vergäße", dachte er, aber das war gänzlich undurchführbar, denn er war gewöhnt, auf der rechten Seite zu schlafen, konnte sich aber in seinem gegenwärtigen Zustand nicht in diese Lage bringen. Mit welcher Kraft er sich auch auf die rechte Seite warf, immer wieder schaukelte er in die Rückenlage zurück. Er versuchte es wohl hundertmal, schloß die Augen, um die zappelnden Beine nicht sehen zu müssen, und ließ erst ab, als er in der Seite einen noch nie gefühlten, leichten, dumpfen Schmerz zu fühlen begann.

○気になる言葉

man hörte Regentropfen auf das Fensterblech aufschlagen 

 これはザムザが聞いた音ではないのかもしれない、代名詞manが主語であるから。きっと僕たちの聞く音だ。読者として、彼の代わりに耳を澄ましている。ザムザはきっと窓の方を見ているだけ、雨の音なんて気にしちゃいない。彼は眠っていたいのだ。でも、それは無理なこと。


○訳
 グレーゴルの視線は窓に向かうと、どんよりした天気が――雨粒が窓枠のブリキにあたるのが聞こえる――すっかり彼を憂鬱にした。「もし僕がもう少し眠り続けて、すべての馬鹿らしいことを忘れてしまったなら、どうなるのだろう。」と彼は考えた。しかしそれはまったく無理なことだった。なぜなら、彼はいつも体を右に向けて眠るのが習慣だったのだが、今の状態じゃそんなことはできはしない。右に向かって力を入れてみるがいつも背中をまるでゆりかごのようにして元に戻ってしまう。彼は幾度となく試してみたが、わさわさゆれる足を見ないように目をつぶり、やめてしまった。今まで感じたことのない、軽く鈍い痛みを感じ始めたからだった。

○虫になって困ったはじめてのこと
 この場面はユーモラスだ、同時にへんてこだけれども。このときのザムザにとって大切なことは虫の姿になったこの状況をどう打破するか、ではない。眠ることだ。眠って、それで起きたら何とかなるんじゃないか、いや、このまま寝続けていたらこの現実に対処しなくてもいいじゃないか、そんな風に思っているようにみえる。だけどそんなことはできはしない、睡眠への欲求は人が生きる上で常に起こるものだけれども、それは解決し得ない欲求だ。なぜなら、僕たちが生きていることそれ自体がいつか睡眠を中断させるから。眠り続けるためには、死しか選択肢がない。しかし、ここで容赦なく彼を睡眠への逃避から引き離すのは、ほかでもない、彼の体、虫である体。思い通りに動かすことのできない自身の体に翻弄される様をカフカはどことなく笑いじみて書く。でも、考えてみてほしい、僕たちが唯一、他がどうであれ自由であることができるのは、己の体ではないだろうか、まあ、それすらもすべてが自由にならないけれど。それすら奪われることは、容易に想像できる絶望と苦痛であるはずだ。身体的痛みは「軽く鈍い」ものであっても、精神的痛みは? しかし、ザムザにはそれがない、気にすべき人間としてのズレがそこにある。

2016年5月1日日曜日

ドイツ語で読む「変身」 その2

○本文

»Was ist mit mir geschehen?«, dachte er. Es war kein Traum. Sein Zimmer, ein richtiges, nur etwas zu kleines Menschenzimmer, lag ruhig zwischen den vier wohlbekannten Wänden. Über dem Tisch, auf dem eine auseinandergepackte Musterkollektion von Tuchwaren ausgebreitet war – Samsa war Reisender – hing das Bild, das er vor kurzem aus einer illustrierten Zeitschrift ausgeschnitten und in einem hübschen, vergoldeten Rahmen untergebracht hatte. Es stellte eine Dame dar, die mit einem Pelzhut und einer Pelzboa versehen, aufrecht dasaß und einen schweren Pelzmuff, in dem ihr ganzer Unterarm verschwunden war, dem Beschauer entgegenhob.


○気になる言葉

 geschehen 起こるgeschehenの過去分詞系。過去分詞なのに、原形と同じ形でややこしい。

 Menschenzimmer 人間の部屋。大事な単語だと思う。これはほかの動物の部屋なんかではないのだ。あくまで人間の、ヒトという種類の動物が暮らすための部屋であり、けして害虫の部屋なんかではない、しかし、それはあまりに狭すぎる、人がそこで暮らすには。

 eine illustrierten Zeitschrift 絵入りの雑誌。面白い、ポスターでも、写真でもなく、雑誌の切り抜き。ザムザがどういう人間かをイメージさせるアイテムとしてひどく優秀である。この前の部分に書かれている「一つ一つ分けて包装されている商売用の生地サンプル」との組み合わせが、彼の小市民ぶりを示しているようだ。

 eine Dame 婦人。別になんてことはない単語なのだが、その修飾には注意を払うべきだろう。毛皮に全身を覆われた女。ここには人間が人間という記号を引き剥がされている。


○訳

 「いったい、何が起きたんだ」と、彼は思った。夢では無い。彼の部屋、つまり正確に言うと、いささか小さすぎる人間のための部屋が、四方のよく見慣れている壁の中にあった。一つ一つ分けて包装されている商売用の生地サンプルが置かれたテーブルの上には――ザムザは営業マンだった――絵入り雑誌から切り取った絵が金の額に納められていた。そこには女がいた、毛皮の帽子に毛皮の襟巻きを身につけ、背筋を伸ばして座り、手をすっかりその中へ隠している黒い毛皮のマフを、観客に向かって持ち上げていた。

○ザムザ、夢から覚める。
 大切なことは、ここでようやくザムザは今の状況を夢でなく現実として認識するということだ。人間が使うには狭いへやに大きすぎる一匹の虫という対比のおもしろさがある。こうした対比的な表現の妙はカフカらしさではないだろうか、たとえば「ことわりの前で」では、訪問者に対して大きい門番が目の前をふさぐ。ここには、「そぐわなさ」が存在する。身の丈に合わない、しっくりこない、強烈とは言わないまでも、どこかこそばゆい違和感、カフカが感じていたものは、こうした自分と自分以外を当てはめたときの不協和音ではないか。そんな不協和音の中、ザムザは自分が自分であるための確かな証を探し当てる、サラリーマンである自分としての生地のサンプル、仕事からはなれたプライベートな自分としての一枚の切り取られた絵、そこに見たのはなんだろう。全身を毛皮に包まれた一人の女だ。なんとはなしに獣じみている。未だこの部屋には、人の人らしさが見えてこない。人らしさはむしろ「もの」に存在する。生地サンプル、絵入り雑誌のほうがよほど人間に近しい。

2016年2月9日火曜日

書けるものが何も無くなったと思ったときから・・・

 書けるものが何も無くなったと思ったときから、それでもなお、何か書こうともがいている自分の中に、ふと、そんなことをして何になるというのか、という疑問がわき出てくるのを感じ、いっそ書きたいものが無ければ書かなければ良いという甘い誘惑でみずからを堕落させようとするけれども、そもそもぼくは書こうとするその内容はどうでも良く、ただ文字をつらつら書いていたい、つまり、インクを減らしたい、という欲求の中で生きているのだとつくづく思い出し、今日も書くために何かを探している。白紙の上が文字で埋まること、それそのものの快楽が私を突き動かしている。だったら、なにかしら一つ文字を決め、なんでもいい「あ」でも「型」でも、「隷」でもいいから、それをただひたすらに書いていくのでは駄目なのだろうか。違う、それは書くことではない。書くことには、残される書かれたものの価値を創造することが含まれているのだから、僕はただ、価値ゼロの行為を書くとして認められないのだ。でも、だったら、それは書かれるもののことを思うわけで、書くことはいっこうに進まない。進まないままに、こうして僕は書いてみる。書いてみる。書いてみる、と繰り返し書いてみる。それによって何が生まれるか、僕が書くことを苦しんでいることそのものが書かれていることをこうやって感じることができる。

2014年11月17日月曜日

ドイツ語で読む『変身』 その1


 ○はじめに
 
 自分の勉強のために独文和訳を毎日続けようと思った。
 何が良いだろうと思って、ここは一つ『変身』を訳してみようと決めた。今まで、短いものは訳してみたけれど、この出版された話の中でもっとも長い(それでも3つの長編と比べればずっと短い)話を最後まで翻訳することは、たぶん、ただ自分のためなんだろうと思う。
 なぜか。
 そもそも、『変身』は翻訳されつくしている、というのが第一。そして、自分が訳したものが他とそう変わることが無いだろうというのが第二だ。それに、ドイツ語を二三年ほどやれば、それほど読みにくいものではないカフカ作品は読めるだろうし。だから、これは誰かのために訳すものにはならない。
 それでも、こんな風にこっそりとブログにあげてみるのは、もしかしたら、そんなふうに翻訳されたものでも誰かの役に立つんじゃないか、と思うことがあるからだ。(ひとつの自己満足。)
 今までの訳には自分の感想を書いたりはしなかった。別に必要ないと思ったし、そもそも翻訳の中には翻訳者の考えが張り付いて離れないものだ、と思っているからだ。今回は、そう思う中で、忘備録代わりに思ったことも付け加えようかと思った。そんな次第である。

 流れはドイツ語→単語→日本語訳→感想、という順番で書いていく。できれば1パラグラフごとにしようと思うけれども、あまりに長ければ、切るかもしれない。単語については自分が気になった単語だけを書き抜いていくつもりだ。意味と言うよりも、その単語に関して考えたこと。文法的なところは同学社の対訳シリーズなどを読む方がずっと良いだろう、自分が言うことでは無い。

 テクストはSuhrkamp社のオリジナル版のタッシェンブーフを使ったが、Gutenberg Projektから本文を持ってきた。わざわざ打ち込む必要がないのはとても楽だ。
 その他、参考にしたものは随時書いていくつもりだ。

・辞書
 郁文堂 独和辞典
 小学館 独和大辞典
 Leigensheidt Deutsch als Fremdsprache
 等々

・翻訳
 新潮社 カフカ全集 第一巻 川村二郎 訳
 白水社 カフカ・コレクション 変身 池内紀 訳
 ちくま文庫 カフカ・セレクション Ⅲ 浅井健次郎 訳
 同学社対訳シリーズ 変身 中井正文 編



 ○本文 第一段落 Ⅰ 

Als Gregor Samsa eines Morgens aus unruhigen Träumen erwachte, fand er sich in seinem Bett zu einem ungeheueren Ungeziefer verwandelt. Er lag auf seinem panzerartig harten Rücken und sah, wenn er den Kopf ein wenig hob, seinen gewölbten, braunen, von bogenförmigen Versteifungen geteilten Bauch, auf dessen Höhe sich die Bettdecke, zum gänzlichen Niedergleiten bereit, kaum noch erhalten konnte. Seine vielen, im Vergleich zu seinem sonstigen Umfang kläglich dünnen Beine flimmerten ihm hilflos vor den Augen.

 ○単語
Als 過去のある一点を表す。辞書には「一回きりのこと」とある。

erwachte<erwachen 目覚める

ungeheuer 途方も無い大きさ。un-が付いているのでgeheuerというのもあるのかなと調べてみたら、そちらは熟語などでまれに使われる程度らしい(nichtとともに、不気味な、気味が悪い)。どういう語源なのだろう。

Ungeziefer 人間に害を与える動物に使う言葉、ここでは虫なので『害虫』とした。「よろいのようにかたい背中」と書いてあるのでゴキブリみたいな甲虫を想像してしまうが、「たくさんの脚」というところから、むしろ昆虫というよりは節足動物(ムカデやゲジゲジ)なんじゃないだろうかと思う。6本がたくさんというのなら、昆虫でも良いのかもしれないが、そうすると「揺らめく」という形容詞が合わない気がする。

wenn 反復する事実を表す。最初にあるalsが一回性のものに対して、こちらは反復性をもつ。辞書の説明を受け入れると、ザムザは「いつものように頭をあげた」のだろうか。そっちの方が、ザムザが自分を虫として認識しきれていない雰囲気がでる気もする、が、今回はぼんやり訳した。

hob<heben 持ち上げる。次の段落にでてくる写真の中の婦人も毛皮のマフを「持ち上げている」。

Versteifung 自分の持っている辞書(郁文堂 独和辞典)には「支えを入れて補強するversteifen」とある。他の翻訳では虫の腹などの節の部分として訳しているので、自分もそうした。

Niedergleiten 辞書にない複合語。下に滑り落ちること。ドイツ語はどうしてこう、動詞の名詞化が多いのだろう。

bereit 用意の出来た。Niedergleitenを「用意している」。日本語にはない表現法だ。

in Vergleich zu 3格とともに、~に比べて。

kläglich みじめな、貧弱な。この言葉が「たくさんの脚」を修飾しているせいで、普通の昆虫を想像できないし、きっとムカデみたいに、ほんとうにたくさんの、数えることの面倒なくらいに多い脚なんだろうと想像する。

flimmerten<flimmern 炎などが揺らめく。この言葉もそうだ。確かに昆虫の脚を見ていると、規則があるのだけれど、それらがあまりに微妙にずれていて不安定さを醸し出す。でもムカデなどはそれよりずっと規則的に脚を動かすのだろう、そうするとここはやはり現実の虫とはどこか似ても似つかない架空の虫を想像するのが良いのかもしれない。


 ○訳

 グレーゴル・ザムザは或る朝不穏な夢から目覚めると、自分がベッドの中で一匹のとほうもない大きさをした害虫へ姿を変えていることに気付いた。彼はよろいのようにかたい背中の上で仰向けになっており、少し頭をあげると、丸く、茶色の、弓形をした節に分けられた腹の、膨らんだところに毛布がすっかりすべり落ちそうになりながら、かろうじてとどまっているのを見た。たくさんの、その他の部位の大きさに比べるとみじめで細い脚がもたもたと彼の目の前で揺れている。


 ○書き出しから漂う異様さ。

 有名な書き出しであり、すこしでも文学に興味のある人間なら、一度は見たことがあるかもしれない。色々翻訳を見てみると、ドイツ語にあるニュアンスが少し抜け落ちているのがわかるが、それは仕方の無いことだろう。それを訳してしまうことで日本語としておかしくなるよりかは、あくまで自然な日本語を選択するほうがよい。
 たとえば、最初の「不穏な夢 unruhigen Träumen」はドイツ語では複数形をとっている。ということはザムザは、不穏な夢を「一つ」見たのでは無く、いろいろな夢を見た果てに目覚めているということになる。だからこそ、彼は自分が害虫に変わっているのも、夢の続きとして最初は感じており、まだこれが現実だとは思っていないのだ。しかし、それが夢でないと分かったところで、ザムザはどこか他人事のようにこの事態を受け止めている。単語のところでも書いたが、wennを反復的事実として考えると、彼は毎朝起きるたびに頭を少しあげている、その毎日の動作をその朝も行ったことになる。異様な事態が未だに日常を侵食し切れていない場面として読むことが出来るだろう。ただ、それが翻訳に出ていないとしても、ここに描かれている異常さは少しも減じたりしない。それは何より、変身したことで最も当惑するべき本人が、あまりにも冷静に自分の姿を観察しているからだ。
 腹の形状、頼りない無数の脚、そうした中に挟まれた毛布の描写は注目するに値する。普通の作家ならば、この異様な事態の異様な部分だけを描いて満足するだろう。しかし、カフカはあくまで毛布にこだわるのである。ほとんど滑り落ちそうでありながら、あやうくとどまる毛布のほうがザムザにとって心配事であるかのように。
 たぶん、グレーゴル・ザムザの意識はまだもうろうとしているのだろう。

 

2014年10月13日月曜日

自分への贈り物。Cleo Skribent ebonite purple

 半ばは惚れて、半ばはそそのかされて、新しく買うことになった。東ドイツの万年筆。もとは民間の会社であったのが、東西分裂により国営になり、統合後は再び民営に戻ったらしい。ハンドメイドであることを誇りにしており、「Made in Germany」ではなく、「Hand-Made in Germany」を掲げている。今回購入したエボナイトも、最終工程で八時間かけて手磨きされているとのことだ。
 あまり情報がないので、どういう書き味かわからないのが、ちょっと困ったが、しっかりした販売店が扱っているのだから、悪いということはないだろうと購入を決意した。



 結果はと言うと、満足のいく買い物だったといえる。最初書いたときは思っていた字幅と違い細く感じられたが、それはロディアに書いたかららしく、普段使いのライフに書いてみると、思っていた字幅になった。やはりこういったところは万年筆に限らず筆記具を買うときに難しいところだ。かならず、店頭で買うときには、自分が普段使っているのーとを持って行くことが大切だと言うことを理解した。

 軸の形も個性的である、ペン軸自体は正11角形であり、キャップは口の方から頭に向かって、その正11角形を(角を残したまま)楕円に押し広げたようになっている。このデザインセンスは日本には無い。というよりも日本は高級な商品にもっとモダン・デザインを取り入れるべきだと思うのだけれど。もちろん、ものはすばらしいが。

 ちなみに今回はインクも普段使わなかったものを購入してみた。ローラー&クライナーのヴァーディグリースである。
 はじめは緑がかった暗い青だが乾くとブルーブラックになる。自分としては、もうすこし緑が残るくらいが好きなのだけれども、最近はあまりない顔料インクでの色のレパートリーの多さが好印象で、これから少し集めてみたくもある。

 
 万年筆が最近増えてきたので、機会があれば、すこし喋ってみたい気もする。

2014年6月21日土曜日

カフカ「橋」 改訂






 身がこわばり、寒い。私は橋だった。底知れぬ深い谷の上にかかっており、一方に爪先を、もう一方に手を突き刺して、ぼろぼろとくずれる粘土質の土にしがみついている。コートの裾が風になびき、底の方ではニジマスのいる凍える河がうなりをあげていた。こんな高く道も無いようなところに迷って来る旅行者は一人もいないので、橋が地図に描かれることはない。――だから、私はこうして待った。待たねばならなかった。崩れて落ちたりすることがなければ、一度建てられた橋は、橋であることを辞めることは出来ないのだ。
 やがて夜になった。――これが最初の夜なのか、千度目の夜なのか、私には分からなかった――思考はいつもからまり、同じところをぐるぐる回っていた。夏の夜になり、川がこもった響きを立てるころ、人の足音が聞こえた! こっちへ、こっちへと。――手足を伸ばせ、橋だろう、身を正せ、橋桁には手すりが付いていないのだから、自分に身を任せてもらえるようにしろ。頼りない足取りを自分でも気付かないうちに正そうとして、それでもふらついてしまったなら、お前は自分を気付かせるんだ、そして山の神のように彼をむこうの地面に放り投げてやれ。
 彼はやって来ると、先に鉄の付いた杖で私を叩いて調べ、私のコートの裾を持ち上げると直してくれた。毛の太い、私の髪に杖を突き刺し持ち上げたかと思うと、中へ差し込んだまま、おそらくあちこちを見回しているのだろう。すると――彼がこれから山を越え谷を越えていくところを夢想しているところだった――彼は二本の足をつかい私の身体の真ん中で飛び跳ねたのだ。激しい痛みに身震いし、一体何が起こったのか分からなかった。誰だ? 子供か? 幻覚か? 追いはぎか? 自殺者か? 誘惑者か? 破壊者か? 私は躯をひねった、彼を見るために。――橋が躯をひねる! 実際にはひねることなく、落ちていた。私は落ちた。そしてもうばらばらになっていた。鋭い小石が私に刺さる。その小石は、激しく流れる水の中から、私のことを穏やかに眺めていた。






 やたらと閲覧数が多いカフカの「橋」、正直訳がひどいから引っ込めたいと思うのだけれども、一応そのままにしておく。その上で、訳を少しずつブラッシュしていくことにしよう。全体的な雰囲気はそのままだけれども、細かなところを修正して文章を整えてみた。

雑記 その1

 空の雲あいが落ち着かず、突然の雨に見舞われることも多々あるから、外に出る前に上を見るくせがついてしまった。それで、今日は大丈夫だろうと、考えていると、夕方辺りにぽつぽつ降るのだから困る。特に洗濯物がたまって、せっかく洗ったとしても、部屋の中で干すから、独特の饐えたような嫌なにおいが鼻をつく。なかなか時間がとれず、夜中に洗濯機を回したりするせいで、部屋が少し締めっぽくなり、そんな空気の中で眠ると、どうやら夢も湿っぽくなるらしい。

 夢と言っても、何かしら意味を持ったような夢、夢の解釈という俎上に載せて耐えるようなものでなく、何か周りの刺激によって偶然浮かびえた印象のつぎはぎでしかない。ただ、フロイトも言う、たとえ外的刺激によって、それに類する夢を見るといって、なぜその夢の像はそうでなければならぬのか、と。こういうところにフロイトの発想のおもしろさや鋭さを感じるのであるが、たしかに、こたつに入って眠り、砂漠の夢を見たとして、こたつの熱さが、砂漠を想起させていることは間違いないが、なぜ砂漠なのか、夏の山、夏の海ではなく、なぜ砂漠なのか、それを説明しようと考えを巡らすことに「あり得ない」の一言で一蹴するのは、どうも考えを放り出してしまっているように思えてしまうから、フロイト先生がどう考えているのであれ、ある種多くの人にとって偶然としか思えないものに論理的なつながりを説明しようと努めてみる。

 続く