二郎と黒川は似ている。互いに飛行機に憑かれた人間。ただ違うのは、二郎が天才としたら、黒川は秀才、天才のしていることが分かりながらもそこに追いつけない。ライバルでありながら、二郎の仕事の最大の理解者。本庄は違う、彼は二郎の仕事を理解し切れていない、だからこそ彼独自の仕事が出来ている。
たとえば、はやぶさの取り付け金具が「二郎と考えたものと同じ」であったり、二人が同じ画面の中でストップウォッチを推す仕草を重ねたり、二人を対称的な位置に意図的に描いている。その中で二郎は、一歩ぬきんでていることを、描くことも忘れず。なにより主要人物の中で、黒川だけが二郎と同じ「眼鏡を掛けている」。
なぜ、二郎に婚約者がいると分かった時、彼は笑いながらも泣いたのか。同じ人間であるという安心から?
後半、黒川は自分の内に二郎を住まわせている。仲人もつとめている。ここでは黒川夫妻と二郎・菜穂子が対称的になる。ある意味では黒川夫妻の在り方は、二郎・菜穂子がたどれたもう一つの可能性に感じる。
映画の中では飛行機以上に汽車が重要な役割を果たしている。それは移動手段として、そして物語の「運び屋」として、何よりも時代を駆け抜けるというメタファーとして。
汽車は最初の夢から出てきている。二郎の夢の中で飛ぶ飛行機が打ち落とされて二郎が落ちていく中で汽車が走っている。
時間的な移動も汽車が行っている。この映画において、時間の経過表現がまったく観られないが、汽車に乗っているシーンがその経過を表わしていることに気付く。時間・空間の移動。
夢の中でも汽車は度々登場する。
最後に菜穂子を夢の王国に連れて行ったのも汽車だと言えるのでは無いか。
目の中の星は恋愛感情の表れと言える。お絹や菜穂子の目をよく見てみると、一つだった星(黒目に描かれた白い丸)が二つになるところでは、二郎に対する何かしらの感情を読み取ることが出来る、それは明らかに恋だ。一方二郎の目の星は最後まで一つのままである。唯一、夢の王国で菜穂子に「生きて」と言われた時に、その目には二つの星が浮ぶ。
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