2012年10月14日日曜日

丸谷才一さんを偲んで


 ノーベル文学賞が中国作家の莫言さんが受賞することになって、ああ今年も村上さんがとれなかったなあ、とおもいながら大学の私の先生にこの話をすると、ハルキがとったらノーベル賞は終わりだと、言われてしまい、何となく反論しようと思ったがそれほど本を読んでいなかったので出来ずじまいにいて、その中の大衆作家という言葉をずっと考えいたけれどそれも忘れかけたころ、丸谷さんが死んだことを知った。

 もちろん、一般人である自分は丸谷さんとは面識もなく、ただ本で知っているだけなのだけれど、やっぱり丸谷さんは「丸谷さん」と呼びたくなる。他の作家は呼び捨てにしてしまいがちだけど、丸谷さんのことを語るときはなんとなく背筋が伸びて丸谷さんと呼びたくなる。
 それは、何より丸谷さんが自分の文章を育ててくれた、という気持があるからだ。もちろん、本人は知るよしもないけど。
 大学に入ってまもなくの頃、丸谷才一という作家の名前を知ったのは何故だったか、いまではもう分からなくなってしまった。たしかエッセイを読んだからだろうか、それとも「文章読本」を読んだのが先だったろうか、曖昧になってしまうくらいに、最初の本との出会いは溶けてしまっている。ただ、この人の本を読んだときに、この人の文章をまねたいと思ったのだけは覚えている。別にまねなくても良いのに、旧仮名遣いまでまねして書いて、今でも手書きするときはプライヴェートなものは旧仮名で書いている。僕の文章の師匠、それが丸谷さんだった。
 大学に入るまでろくに本も読まないで、国語の成績も中の下、古典文法や漢文法なんてさっぱりだったのに、国語の先生になりたいと思ったのも丸谷さんの本を読んだからかもしれない。日本語が好きになったからだ。それまで、日本語のおもしろさが分からなかった自分が、そのおもしろさ、さらには言葉というもののおもしろさに気付かされたのだ。それが「文章読本」だった。小説を書こうとしていて、勉強のために読もうとしたのだと思う。たぶん小説を書くのに勉強をするだなんて、普通なら笑われるのだろう、ただ書けば良いんじゃないか、そういうのだろう。でも、自分にはそれが出来なくて、なにかこうよりどころが欲しかった、特に誰かが驚くような経験も特技もないつまらない自分でも、これだけは支えてくれるというものが欲しくて、それが言葉に対する真摯さというか、突き詰める態度、だった。
 どうしても、思った通りに書け、とか考えるな感じろという作家態度に慣れない自分が、ちよつと気取つて書け、という言葉を見たとき、目に刺さった氷の欠片が取れた気分になった。それからエッセイを読み、小説「草まくら」を読み、古本屋でエッセイを見つけると値札を見ずに籠に入れた。まあ、高くはなかったけど。
 丸谷さんの文章を見たあとでは、自分の文章のへたくそさにこんなものをよく平気で書いていたなと恥ずかしくなった。一文に掛ける時間が長くなった。原稿用紙10枚書くだけでもう気力を使い果たしてしまうくらいに言葉を考えた。今読み返してみても、あの時に書いた文章の方が上手い気がする。小説についてどう書いていけば良いかは、そこまで学ばなかったけれど、文章というものはどう書いていけば良いかを学んだのは丸谷さんからだ。

 なぜ冒頭に村上春樹の名前を挙げたか、それは丸谷さんは芥川賞の選考で唯一といっていいくらいに村上春樹を評価していたからだ。結局芥川賞は逃したけれど、世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドが谷崎賞をとったときも丸谷さんは選考委員だった。
 村上春樹も丸谷さんも、たしかに純文学とは言いがたいのかもしれない。それは、二人が日本の「純文学」という線の上からはいつも離れていたからで、だからといって「大衆文学」の椅子に安座していたというわけでもない。
 丸谷さんは純文学と大衆文学という区別に疑問をもった人だった。フランスやドイツという大陸系の小説から学ぶ作家が文壇を占めていた中で、丸谷さんは英文学から学んだ。よくよく考えると小説を英文学から学んだと発言している作家は少ない。英語圏は今ではアメリカにその株を奪われているのだし。英文学が良いという作家も、それはあくまで英文学も良い、であってそれが中心に来ることはない。そうやって言う自分だって、結局は英文学というものをほとんど読まない(一応シェイクスピアは大事にしてるけれど)。
 なんとなくだけれど、こうした英文学からの影響を受けた丸谷さんの小説は、日本の作家にとってはなんとなく相容れないものに見えるのだろうし、実際そう見ている人が多い。それは多分、日本人がこれが「文学」と読んでいるものに丸谷さんの小説(または村上春樹の小説)が馴染まないからじゃないだろうか。
 批評家が批評をしない今の日本の中で、本を読んでその本を語る数少ない人、そうした丸谷さんの本は、どれも暖かくて、批判にしても好き嫌いとはやはり次元が違うところに言葉があった。

 丸谷さんは自分にとって大学時代、会ってみたいお爺さんのうちの三人だった(のこり二人は白川静さんと松岡正剛さん、正剛さんは二人より年下でお爺さんに囲むのはどうかとは思うけど、白川静さんは2006年に亡くなった)。また、一人いなくなってしまった、と思った。もっと色々知って、それをぶつけてみたいと思ったのに。とろい自分がちょっと嫌になった。でも、こうやって言葉を書いていると、やっぱり丸谷さんから文章を学んだんだと思える。感謝しています。

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