タイトルの通り、今日はいろんな事を誰かに云うことの効用について書こうと思います。そしてこの事は、なぜこのブログを書こうと思ったか、という理由にもつながっていきます。
叱られた、物を無くした、喧嘩した、よく分からないけれどなんだか面白くない、そういった時に自分の心の中に負の感情とでも呼ぶべき物がどんどんたまっていくのを感じます。そしてそれが溜まってしまうと心身ともに具合が悪くなってしまう。
いろいろと対処法があるでしょうが、そうした物は「さっさと周りに云ったほうがすっきりするよ」とアドバイスを受けたりしたこともあるんじゃないでしょうか。こうした感情を誰かに伝えるだけでも、つまりそれに対して何かアドバイスを受けなくても、すっきりしたりします。
しかし、実はこれは悪いことだけでは無いらしい。これは友人から云われたことなのですが、うれしかった、楽しかった、感動した、といった正の感情も溜まるとなんだか調子が悪い。人というのはとかく「共有する」ということをもとめる存在なんじゃないでしょうか。
よく、何でもかんでも批判(おっと、ここは否定ですね)する人というのを見かけますよね。ああいった人たちに対して私は時々、そんなにいうなら自分でやればいいじゃないか、と思ったりします。しかし、彼らは共有を求めているんじゃないかな、と考えると、ああ、自分のことを見てほしいのねはいはい、という気になって、自分なんかは腹が立たなくなります(それが相手の気分を害する言葉を含んだ場合はどうかと思いますが)。
さらに、こうしたことを「知識」と呼ばれることにも応用していきたいと思うのです。つまり、ためこんでばかりいても知識は腐っていくばかりだし、どんどん天日に晒してしまおう、とこういうわけなんです。
こういってしまうと、なんだか自分自身のためにこのブログを書いているような気がして申し訳ないような気になってきますが。
まあまあ、そんな風に考えを書いていったときに面白いなあと思っていただければとてもうれしく思います。
それでは、今日はこの辺で。
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