2011年1月10日月曜日

笹井宏之『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』

 死という現象は作品にとっては付加価値となるのが、芸術のどろどろした側面とでもいいましょうか、例えば私が死にまして、なにやら作品集が出たら、死人に口なし、相手も死んだ野郎を悪く云うと体裁が悪いから何も言えなくなる、そんなんでええことばかり云ってもらえるのでしょうが、死ぬ前にちゃんとそんなことをしてくれるな、だめならだめと云ってくれ、と遺書に残しておきたいですね、というか、この言葉はすでに遺されているので、見た人はそう思っておいてください。 
 さて、いつものように近所の書店に行き、当てもない買い物をしていたとき、レジの前で平積みされている中に見つけたこの本を読んだとき、私はこころをぐいと持って行かれるような気持ちになった。痛いのである。その透明な言葉に私の欲していた世界を見出したからだ。 
 思わず、買ってしまったその本を、私は部屋で一人読んでいた。始めの一首がこれである。 

 えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい 

 思わず口ずさみたくなる言葉、この人の感性は私に近いのだと感じた。 
 そして、私は読み終わり、著者の略歴を見た。この人は二年前にインフルエンザで死んだのだということを知った。1982年であるから、今の自分と同い年である。 
 私は読み終わったときにこの『死』を目にした。だから、この気持ちに『死の装飾』は無い。むしろ、遺された言葉のみずみずしさは『死の装飾』をはじき返していることを知った。私にはまだこのような言葉のみずみずしさを手に入れることができないだろう。むしろ、石、そう化石である。土に埋もれた死体を掘り起こして、つなぎ合わせる作業しかまだ私には出来そうにない、みずからの生きた肉をそぎ落とし壁に貼り付ける行為をまだ恐れている。 

 (ひだりひだり 数えきれないひだりたちの君にもっとも近いひだりです) 
 ゆつくりと私は道を踏みはづす金木犀のかをりの中で 

 むかし、私もこのような言葉を使ってみようと、なまくらなナイフで私の鳩尾を突いてみたが、あまりに痛くて、どうしようもなく手から離れ落としてしまった。

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