詠むものが少し、方向転換したような気がする。
どうしてもということから、日本の古典をさらっている。古今集などもちらちら読むようになった。
ドナルド・キーンの日本文学史を原著で購入。ちょっと後悔。
でも、日本語だと18巻になるところ(しかも、今は売ってない。文庫化がどんどんされているけれど)が、四巻ですむからスペース的にはエコだ。(と思ったが、結局文庫版は購入しているので、どっこいどっこいになりそうな予感)
ただ英語だと、知っていることも、何のことだか分からない場合が出てくる。
例えば、一番最初の前書きにでてくる引用。
Xian ji was filled with wrath at Hongmei;
Load Pei, bent and bowed, came to pay him homage.
Fan Zeng plotted harm, but was refused.
Secretly handing over his sword, he made a pact with Zhuang.
Wen Hsuanという中国の文集からどうこうと書かれており、なんじゃこりゃ、と思っていたら。高校の教科書にも載っている有名なエピソードでありました。(普段なら拙訳をのせるところですが、突然出てきたときのわたしの狼狽えを共感して欲しいので、あえての省略)
また、紀貫之の古今集仮名序の冒頭「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」なども、
Japanese poetry has its seeds in the human heart and burgeons into many different kinds of leaves of words.
となっていて面白い。最近では、わざわざウェイリー訳の源氏物語を日本語に再訳していたりもしますから、こういうのを読むのはあるいみ、外国の日本古典受容の如何をみるものであると同時に、日本語と外国語の間を往復し、内容のみを残す(言葉を削いで意味を残すような)作業はある意味、言葉に立ち止まる良い機会になっています。
そんなこんなで内には、ずいぶん洋書もそろいました。
芥川や夏目漱石の『三四郎』のドイツ語訳なんかも買ってしまった・・・・・・。
いっぽう、和書は何を読んでいるかと言いますと、めっぽう今は「須賀敦子全集」と「抄訳版 失われた時を求めて(鈴木道彦訳)」を読んでいます。
須賀敦子さんは、もう亡くなられたイタリア文学の翻訳者。知り合いがいぜん読んでいたというのも実は動機であるのですが、そのとき買っていたものにようやく手をつけている次第。いやあ、なぜ早く読まなかったのだろうと、後悔していますが、むしろ、今だからこそこうやって心に響いているのだと思うようにしました。そして、イタリアに嵌っていくという、イタリア語の語学書なんか買いあさったという・・・・・・。
そして、キーンの日本文学史とは真逆に邦訳で読んでいるプルースト(いま、自分かなり変なことしてるよなあと思ってしまった)ですが、全訳はさすがにハードルが高いので評判の高い抄訳を読むことに。プルースト的な感覚はやはり現代文学の転換にとって重要なファクターだったと思います。しかし、いまだプチット・マドレーヌどまりだったのが心残りで、重い腰をようやく上げてみたところです。やはり、マドレーヌから昔の記憶を甦らせる箇所のあざやかさったらないですよ!
と、そんな読書生活を送ってます。
2011年5月11日水曜日
2011年2月25日金曜日
荒川古里語事
知る人は知るが私は福井県の生まれである。
人は己の生まれる時と場所を選べない。この命題は私にとってあまり重要ではなく、不満は感じることもあるが、相補うほどの満足も得ている。
福井県は人口少ないところで、閑散としている。私の生まれた場所は県庁所在地から見てベッドタウンと呼ばれたりもしているが、平日ならば昼に町中を歩いても人はおろか車ともすれ違わないことも多々あるような、そんな場所だ。私が高校の頃は家の裏は広く水田になっており、冬に雪が積もると、ただ白い床が広がっていた。たまに夜中、窓を開けてみると、静かに冷えた空気が耳を切るように感じる。そしてどこか奥の方、それは向こう側なのか、それとも身体の中からか知らないが、しー、と金属を擦るような音が聞こえる。月明かりだけの空間を一気に肺に溜めるとき、私は生きているのだ、と感じたものだ。
そんな家の裏にも北東の方に小学校が出来てしまった。もうあの空気を楽しめないのである。
福井県を知る人は少ない。ぴんと来ない場所であるらしい。
私も何か福井県の事を友人に語ろうとすると、何を語ればいいのか分からなくなる。なにも語るべき所がないのである。
つまらないところだと思う。閉じたところだと思う。私はあそこに住むのはうんざりしてしまっている。だから、帰ろうとはあまり思わない。
私にとって、場所に意味はない。そこにいる人が大事だと、しみじみ思う。なので、人を失った場所にはあまり興味は無いのだ。
私が県とつながりを持っているのは、家族がいる、ただそれのみであり、それ以上の理由などない。だから、もし家族の全てがいなくなった福井県に行きたいとはまったく思わない。友人は、と聞く人がいるだろうが、私は福井県に友人を持たない。いや、一人いる。誕生日を互いに祝う。あの友人のために帰るのならばそれも良いと思える。私は、しかし、それ以外の人はいない。
そんな、福井県のことを書いた文章も少ない。確かに、少なからず作家を輩出するわが県には小説の舞台となっている場所がある。しかし、それも嶺南と呼ばれる南の地域のことばかりで、苓北である私の地方のことを書いているのはあえて知る人を上げれば、水上勉、中野重治、そして最近の舞上王太郎か。しかし、だれも私の生まれた場所、よく知る場所からは少しだけ遠い。
なので、まるで地域というものに興味を持たずに文章というものを読んできた。
荒川洋治の「黙読の山」を読む前もまるでそんなことを考えたことは無かった。
しかし、途中私は非常に慣れ親しんだ地名を見つけてしまったのだ。
「可能性」という短文は切符を手元に残す話だ。
*
都内から福井に帰省するとき、下車駅はAなので、ぼくはAまでの乗車券を買う。いつもいつも、Aではつまらない。楽しみがない。それでひところからAの一つ先の駅の細呂木、あるいはさらにその一つ先、牛ノ谷までの切符を買うことにした。A駅で降りるときに、途中下車のハンコを押してもらい、切符を残すことにしたのだ。二つ先までの切符にしても運賃は変わらないからだ。細呂木、牛ノ谷にぼくは一度も降りたことはないが(無人駅か乗降客の少ないさみしい駅だろうと思う)、それらの切符にすると気分がいい。新しい世界へ、おもむくような気持ちになる。
*
荒川は福井出身の詩人、私は彼の詩を読んだことは無いけれど、保坂か高橋のどちらかが彼のことを書いていたのを覚えている。確か高橋だったと思う。私の母方の実家は細呂木にある。駅の目の前で煙草とクリーニングを生業にしている。このように書くと、なんだか妙な組み合わせだと感じた。
荒川自身は、細呂木を降りないようだ。彼の言うとおり、細呂木は無人駅で無賃乗車も出来てしまうような駅だが、誰もそれをしない。人が金に五月蠅いのである。
そういえば、最近駅から少し南へ行ったところでよくカメラをもった人々を見かける。俗に言う、鉄っちゃんと呼ばれる人々で、電車の写真を撮っているらしい。母に聞いたら、なにやら写真の大会があり、そこで最優秀に選ばれたのがその場所から撮った写真だったそうだ。その写真が最優秀であったのは、その瞬間を切り取ったからであり、そこから撮れば必ず良い写真が撮れるというのでもないだろう、と思ったが彼らの勝手なのだから口を出す必要はない。
その話はともかく、私は初めて本を読んで、近さを覚えた。こうした気分になるのは今度いつになるのか。私の今住むところは、残念ながら文学的でない場所だと思うから、きっとこの先もう無いかもしれないと感じた。
人は己の生まれる時と場所を選べない。この命題は私にとってあまり重要ではなく、不満は感じることもあるが、相補うほどの満足も得ている。
福井県は人口少ないところで、閑散としている。私の生まれた場所は県庁所在地から見てベッドタウンと呼ばれたりもしているが、平日ならば昼に町中を歩いても人はおろか車ともすれ違わないことも多々あるような、そんな場所だ。私が高校の頃は家の裏は広く水田になっており、冬に雪が積もると、ただ白い床が広がっていた。たまに夜中、窓を開けてみると、静かに冷えた空気が耳を切るように感じる。そしてどこか奥の方、それは向こう側なのか、それとも身体の中からか知らないが、しー、と金属を擦るような音が聞こえる。月明かりだけの空間を一気に肺に溜めるとき、私は生きているのだ、と感じたものだ。
そんな家の裏にも北東の方に小学校が出来てしまった。もうあの空気を楽しめないのである。
福井県を知る人は少ない。ぴんと来ない場所であるらしい。
私も何か福井県の事を友人に語ろうとすると、何を語ればいいのか分からなくなる。なにも語るべき所がないのである。
つまらないところだと思う。閉じたところだと思う。私はあそこに住むのはうんざりしてしまっている。だから、帰ろうとはあまり思わない。
私にとって、場所に意味はない。そこにいる人が大事だと、しみじみ思う。なので、人を失った場所にはあまり興味は無いのだ。
私が県とつながりを持っているのは、家族がいる、ただそれのみであり、それ以上の理由などない。だから、もし家族の全てがいなくなった福井県に行きたいとはまったく思わない。友人は、と聞く人がいるだろうが、私は福井県に友人を持たない。いや、一人いる。誕生日を互いに祝う。あの友人のために帰るのならばそれも良いと思える。私は、しかし、それ以外の人はいない。
そんな、福井県のことを書いた文章も少ない。確かに、少なからず作家を輩出するわが県には小説の舞台となっている場所がある。しかし、それも嶺南と呼ばれる南の地域のことばかりで、苓北である私の地方のことを書いているのはあえて知る人を上げれば、水上勉、中野重治、そして最近の舞上王太郎か。しかし、だれも私の生まれた場所、よく知る場所からは少しだけ遠い。
なので、まるで地域というものに興味を持たずに文章というものを読んできた。
荒川洋治の「黙読の山」を読む前もまるでそんなことを考えたことは無かった。
しかし、途中私は非常に慣れ親しんだ地名を見つけてしまったのだ。
「可能性」という短文は切符を手元に残す話だ。
*
都内から福井に帰省するとき、下車駅はAなので、ぼくはAまでの乗車券を買う。いつもいつも、Aではつまらない。楽しみがない。それでひところからAの一つ先の駅の細呂木、あるいはさらにその一つ先、牛ノ谷までの切符を買うことにした。A駅で降りるときに、途中下車のハンコを押してもらい、切符を残すことにしたのだ。二つ先までの切符にしても運賃は変わらないからだ。細呂木、牛ノ谷にぼくは一度も降りたことはないが(無人駅か乗降客の少ないさみしい駅だろうと思う)、それらの切符にすると気分がいい。新しい世界へ、おもむくような気持ちになる。
*
荒川は福井出身の詩人、私は彼の詩を読んだことは無いけれど、保坂か高橋のどちらかが彼のことを書いていたのを覚えている。確か高橋だったと思う。私の母方の実家は細呂木にある。駅の目の前で煙草とクリーニングを生業にしている。このように書くと、なんだか妙な組み合わせだと感じた。
荒川自身は、細呂木を降りないようだ。彼の言うとおり、細呂木は無人駅で無賃乗車も出来てしまうような駅だが、誰もそれをしない。人が金に五月蠅いのである。
そういえば、最近駅から少し南へ行ったところでよくカメラをもった人々を見かける。俗に言う、鉄っちゃんと呼ばれる人々で、電車の写真を撮っているらしい。母に聞いたら、なにやら写真の大会があり、そこで最優秀に選ばれたのがその場所から撮った写真だったそうだ。その写真が最優秀であったのは、その瞬間を切り取ったからであり、そこから撮れば必ず良い写真が撮れるというのでもないだろう、と思ったが彼らの勝手なのだから口を出す必要はない。
その話はともかく、私は初めて本を読んで、近さを覚えた。こうした気分になるのは今度いつになるのか。私の今住むところは、残念ながら文学的でない場所だと思うから、きっとこの先もう無いかもしれないと感じた。
2011年2月11日金曜日
朝吹真理子『きことわ』
言葉を鑿に、言葉を鎚にして、世界を削る。できあがった一つの像よりも、当たりに散らばる屑に、私は酔った気分になる。
小説の言葉とはそういうものだと思う。飛び散っていったもの、はらはらこぼれ落ちるもの、それを拾い上げ、すくい上げ、ふっと息を吹きかけ、飛び散っていくのを眺める。それが小説だ。
朝吹真理子は二冊目、といっても現在単行本はこの二冊しかないのだが。
この人の作品を読むと言葉の選ばれかたにどきりとする。この感覚は、最初期のよしもとばななの時にも感じた。詩的人間の香りがする。散文人間にはどうしてもたどりつかないものだ。
いまどきのはやりはあくまで散文人間の作品であるなか、ここまで詩的人間の作品を堪能出来るのは嬉しい。
私はほんらい詩的人間だと思うのだけれど、散文に毒されているため、どうしても言葉が繋がらない。そういうときに、読むのが高橋源一郎である。しかし、かれはあまりに詩的すぎるため、ひょっとすると、詩的人間として詩に死にたくなるほど毒されてしまう可能性がある。つまり、小説が書けず、そこに詩ができあがる。
詩的人間が詩を書かずに、小説を書くことの難しさはそこにある。
朝吹という人の作品にその完遂をみることで、私の心はとても羨ましいという思いが満たしていく。
私にはできないが口癖の私にどこまで小説が書けるのかしらない。
それでも、私しかできないを見つけようとあばれまわってみる。
たとえば、後ろ髪を惹かれる思いを書いた小説は山ほどあるけれども、本当に後ろ髪を引かれる小説はこれしかない(これは山田詠美も言っている)。
これはカフカ風な雰囲気である。そして、それはすでにメタファーを超えている。メタ・メタファーであり、めためたな言葉なのである。以前、後輩達のカフカ風散文作品を見ていた中にあった、死因はエコノミー症候群と同じくらい、メタ・メタファーを味わえる機会はそうそうにない。
私自身はこうした言葉に疎い。詩的人間としてそれはちょっとした欠陥である。
しかし、しかしと逆接をつかって反論したい。
詩的にもいろいろあって、私の詩的言語はむしろそうした鑿や鎚の鋭さによって生み出される美しい屑ではなく、甘さによって世界に生じるささくれを目指したい。
そう、言語とは鑿や鎚であると同時に、屑やささくれなのだ。
小説の言葉とはそういうものだと思う。飛び散っていったもの、はらはらこぼれ落ちるもの、それを拾い上げ、すくい上げ、ふっと息を吹きかけ、飛び散っていくのを眺める。それが小説だ。
朝吹真理子は二冊目、といっても現在単行本はこの二冊しかないのだが。
この人の作品を読むと言葉の選ばれかたにどきりとする。この感覚は、最初期のよしもとばななの時にも感じた。詩的人間の香りがする。散文人間にはどうしてもたどりつかないものだ。
いまどきのはやりはあくまで散文人間の作品であるなか、ここまで詩的人間の作品を堪能出来るのは嬉しい。
私はほんらい詩的人間だと思うのだけれど、散文に毒されているため、どうしても言葉が繋がらない。そういうときに、読むのが高橋源一郎である。しかし、かれはあまりに詩的すぎるため、ひょっとすると、詩的人間として詩に死にたくなるほど毒されてしまう可能性がある。つまり、小説が書けず、そこに詩ができあがる。
詩的人間が詩を書かずに、小説を書くことの難しさはそこにある。
朝吹という人の作品にその完遂をみることで、私の心はとても羨ましいという思いが満たしていく。
私にはできないが口癖の私にどこまで小説が書けるのかしらない。
それでも、私しかできないを見つけようとあばれまわってみる。
たとえば、後ろ髪を惹かれる思いを書いた小説は山ほどあるけれども、本当に後ろ髪を引かれる小説はこれしかない(これは山田詠美も言っている)。
これはカフカ風な雰囲気である。そして、それはすでにメタファーを超えている。メタ・メタファーであり、めためたな言葉なのである。以前、後輩達のカフカ風散文作品を見ていた中にあった、死因はエコノミー症候群と同じくらい、メタ・メタファーを味わえる機会はそうそうにない。
私自身はこうした言葉に疎い。詩的人間としてそれはちょっとした欠陥である。
しかし、しかしと逆接をつかって反論したい。
詩的にもいろいろあって、私の詩的言語はむしろそうした鑿や鎚の鋭さによって生み出される美しい屑ではなく、甘さによって世界に生じるささくれを目指したい。
そう、言語とは鑿や鎚であると同時に、屑やささくれなのだ。
2011年1月22日土曜日
朝吹真理子『流跡』
芥川賞のニュースが出たのを聞いて、W受賞やら何やらが話題になっているのを知ってもどうとも思わない自分が、朝吹という名前を見たとしても、また知らん名前だという風にしか思わなかった。しかし、その後、この人を調べたときに私は、しまった、とつい口走った。この人の本を一度手に取ったことを思い出したからだ。しかも出たばかりの頃に。
住んでいる近場ではいちばん大きな書店で本を探していたときに『流跡』が目にとまった。「ドゥマゴ賞」と「堀江敏幸」の名前が目について、ページを開いた気がする。一、二頁ほど繰って、面白いというか、また詩的なのが顕れたな、と考えつつ、今そんなに金がないから良いや、と弁解して買わなかった。
これは買うしかないと、買って読んだら、また、しまった、と呟いてしまった。先を越されたからである。
自分は小説を書くとき、一つのルールを自分に課した。それは「私」と書かない一人称視点の小説を作ろうと云うものだった。私は「私」が嫌いだった。日本語は別に「私」と書かなくても文章が書けるのだし、わざわざ書かなくても書けるのなら、ひとつ書いてみようと思ったからだ。
しかし、一度書き出してみると、如何に「私」という言葉が出しゃばってくるかが分かった。どうしても「私」が欲しくなるのである。そうこうして書こうとしても、ちぐはぐな文章となり、自分にはそれが向いていないのかもしれないと思って、そのルールを取っ払った。
そして、『流跡』を見てみれば、それが出来ているのだ、しかも当たり前かのように、自然と。
うらやましい、と思う。そして、彼女の言葉に驚く。
しかし、それでも、自分が『私』と書かない小説を書くとすれば、朝吹さんのようにはならないと思う。それは自分が朝吹さんのかくものよりももっと静謐なものを求めており、固く、揺らぎのない文章を求めているからだ。そしてそこには滑稽も含む。
見れば、同い年だという。悔しい、方向性が似ている、でも、似ているけれども、同じではない、まだ自分は書ける気がするという、どうしようもない負けん気を抱いて、昔書けなかった作品をまた書いてみたい気持ちを持った。
住んでいる近場ではいちばん大きな書店で本を探していたときに『流跡』が目にとまった。「ドゥマゴ賞」と「堀江敏幸」の名前が目について、ページを開いた気がする。一、二頁ほど繰って、面白いというか、また詩的なのが顕れたな、と考えつつ、今そんなに金がないから良いや、と弁解して買わなかった。
これは買うしかないと、買って読んだら、また、しまった、と呟いてしまった。先を越されたからである。
自分は小説を書くとき、一つのルールを自分に課した。それは「私」と書かない一人称視点の小説を作ろうと云うものだった。私は「私」が嫌いだった。日本語は別に「私」と書かなくても文章が書けるのだし、わざわざ書かなくても書けるのなら、ひとつ書いてみようと思ったからだ。
しかし、一度書き出してみると、如何に「私」という言葉が出しゃばってくるかが分かった。どうしても「私」が欲しくなるのである。そうこうして書こうとしても、ちぐはぐな文章となり、自分にはそれが向いていないのかもしれないと思って、そのルールを取っ払った。
そして、『流跡』を見てみれば、それが出来ているのだ、しかも当たり前かのように、自然と。
うらやましい、と思う。そして、彼女の言葉に驚く。
しかし、それでも、自分が『私』と書かない小説を書くとすれば、朝吹さんのようにはならないと思う。それは自分が朝吹さんのかくものよりももっと静謐なものを求めており、固く、揺らぎのない文章を求めているからだ。そしてそこには滑稽も含む。
見れば、同い年だという。悔しい、方向性が似ている、でも、似ているけれども、同じではない、まだ自分は書ける気がするという、どうしようもない負けん気を抱いて、昔書けなかった作品をまた書いてみたい気持ちを持った。
2011年1月10日月曜日
笹井宏之『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』
死という現象は作品にとっては付加価値となるのが、芸術のどろどろした側面とでもいいましょうか、例えば私が死にまして、なにやら作品集が出たら、死人に口なし、相手も死んだ野郎を悪く云うと体裁が悪いから何も言えなくなる、そんなんでええことばかり云ってもらえるのでしょうが、死ぬ前にちゃんとそんなことをしてくれるな、だめならだめと云ってくれ、と遺書に残しておきたいですね、というか、この言葉はすでに遺されているので、見た人はそう思っておいてください。
さて、いつものように近所の書店に行き、当てもない買い物をしていたとき、レジの前で平積みされている中に見つけたこの本を読んだとき、私はこころをぐいと持って行かれるような気持ちになった。痛いのである。その透明な言葉に私の欲していた世界を見出したからだ。
思わず、買ってしまったその本を、私は部屋で一人読んでいた。始めの一首がこれである。
えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい
思わず口ずさみたくなる言葉、この人の感性は私に近いのだと感じた。
そして、私は読み終わり、著者の略歴を見た。この人は二年前にインフルエンザで死んだのだということを知った。1982年であるから、今の自分と同い年である。
私は読み終わったときにこの『死』を目にした。だから、この気持ちに『死の装飾』は無い。むしろ、遺された言葉のみずみずしさは『死の装飾』をはじき返していることを知った。私にはまだこのような言葉のみずみずしさを手に入れることができないだろう。むしろ、石、そう化石である。土に埋もれた死体を掘り起こして、つなぎ合わせる作業しかまだ私には出来そうにない、みずからの生きた肉をそぎ落とし壁に貼り付ける行為をまだ恐れている。
(ひだりひだり 数えきれないひだりたちの君にもっとも近いひだりです)
ゆつくりと私は道を踏みはづす金木犀のかをりの中で
むかし、私もこのような言葉を使ってみようと、なまくらなナイフで私の鳩尾を突いてみたが、あまりに痛くて、どうしようもなく手から離れ落としてしまった。
さて、いつものように近所の書店に行き、当てもない買い物をしていたとき、レジの前で平積みされている中に見つけたこの本を読んだとき、私はこころをぐいと持って行かれるような気持ちになった。痛いのである。その透明な言葉に私の欲していた世界を見出したからだ。
思わず、買ってしまったその本を、私は部屋で一人読んでいた。始めの一首がこれである。
えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい
思わず口ずさみたくなる言葉、この人の感性は私に近いのだと感じた。
そして、私は読み終わり、著者の略歴を見た。この人は二年前にインフルエンザで死んだのだということを知った。1982年であるから、今の自分と同い年である。
私は読み終わったときにこの『死』を目にした。だから、この気持ちに『死の装飾』は無い。むしろ、遺された言葉のみずみずしさは『死の装飾』をはじき返していることを知った。私にはまだこのような言葉のみずみずしさを手に入れることができないだろう。むしろ、石、そう化石である。土に埋もれた死体を掘り起こして、つなぎ合わせる作業しかまだ私には出来そうにない、みずからの生きた肉をそぎ落とし壁に貼り付ける行為をまだ恐れている。
(ひだりひだり 数えきれないひだりたちの君にもっとも近いひだりです)
ゆつくりと私は道を踏みはづす金木犀のかをりの中で
むかし、私もこのような言葉を使ってみようと、なまくらなナイフで私の鳩尾を突いてみたが、あまりに痛くて、どうしようもなく手から離れ落としてしまった。
2011年1月7日金曜日
ベルンハルト『古典絵画の巨匠たち』
日本ではあまりにもベルンハルトがプッシュされない現実を嘆いて、皆さんにベルンハルトを読んでもらいたい、わたしは書き記す、なにゆえ彼は日本で受けないのか、むしろ彼の呪詛は日本人には馴染み深いはずであるのだ。しかし、と私は私に言う、その呪詛を受け取ろうとして彼の小説を読むと、途端文体が邪魔をする、と私は思った、この異様なまでの入り組んだ文章と、改行のなさ、彼はまったく改行をしないのである。すくなくとも、自伝五部と呼ばれる作品以降では。しかしそれは、と考えた、彼の内的独白と完全に寄り添って話された一つの祝詞、あるいは呪詞であるといえるだろう。その祝詞は「語られる」のではない、「書かれる」、その事実を私たちは真摯に受け取らねばならない。この作品の場合、「アッツバッハーは書き記す」という箇所がある。それによって、私たちはこの小説の自己完結性を享受することだろう、と思った、そしてそれにより私たちと彼の間の断絶を感じることだろう。私たちはその完結した世界の中で「語られる」のを「語る」人に「語られる」呪詛をその身に受けつづける様を見ることになる。呪詛の相手は彼のまわりの人々、つまりオーストリア人に向けられる、そしてそのオーストリア人を作り上げた国家、文化、宗教への執拗なまでの罵詈雑言、さらにはドイツ語圏という大きなくくりにまでその嫌悪が行き渡るのである。ベルンハルトの小説にはこの嫌悪の感覚が至る所に見られる、と私は私に言う、しかしそれはドイツ語で書かれ、何より彼ら登場人物もベルンハルト自身もオーストリア人である。呪詛は常に自分自身にも浴びせかけられている、この絶望を感じよ、と私は命令する、その呪詛をあなたも浴びよ、そして客席から舞台を見ていただけのその身を舞台上へ、舞台裏へ押しやるのだ、と私は私に言う。ベルンハルトは常に、安楽椅子に座る私たちを無理やりにでも立たせて、世界の舞台裏を覗かせようとするのである、とわたしは書き記す。
2011年1月3日月曜日
中勘助「銀の匙」
帰省の電車の中、一冊の本を読んでいた。今まで、読もう読もうと思っていてそのままにしておいた中勘助の『銀の匙』である。どうにも嫌いではないのだけれども、腰を落ち着けて読みたいとおもっていたら、忙しさや楽しさに紛れて、ずっと前に買ったにもかかわらず最初の十ページあたりでいつもやめてしまい、うちにある本の山(その名の通り)の中に紛れていたが、帰ったときに読むのを選ぶときに気まぐれにえらんでもってきたら、今の心境とあったのか、すっと読めた。
前半が良い。後半も悪くはないけれど、青年になってしまってはこの話は台無しの感はある。みんなが誉めそやしたせいで勉強する気を起こさずにきたために私は出来の悪い子のままで今まで来てしまったのだ、と家族を憎み泣きわめく場面が特に良い。なんと身勝手な、しかしそれだから子供なのだ、と思わなくもない。こういうある種の論理的な自己中心的態度というか、そういったのは意外に大人になっても残っているものだ。かくいう自分もこの気性が激しい方で、そうした態度を露わにすることがしょっちゅうである。しかし、大人になって慎みも覚えたので、自分の論理が可笑しいことくらいわかってもいる。そうした、内面のちぐはぐした場合の行動の滑稽さに、しばしば恥ずかしくなることもある。こうした気性は治らない、多分自分は治すつもりもない。
夏目漱石が褒めたというのは有名な話であるが、この『銀の匙』をどう読むかは少し迷う。小説、だろうか? どうもそう読めない。これはあくまで「散文」としてしか読むことのできないものだ。その「散文性」のためにこれを他の小説などと比べることができなくなってしまっている。小説を比べるなんてことはすでにナンセンスなのかもしれないが。
筋という筋のない短文の寄せ集めであるこの作品をつなげているものは何なのだろう、と考えてしまう。「銀の匙」というタイトルにある、その銀の匙は最初に登場したきりあとは姿を見せない。プルーストのプティト・マドレーヌと同様、記憶を呼び覚ますのにこんな素晴らしいものは無いのに、それを贅沢に使っている。そう、呼び覚まされた記憶。これはまさに中勘助の「失われた時を求めて」である。いや、プルーストは「失われた時を求めて」などと哲学的な詩的なタイトルにすべきではなかった。ただ、「プティト・マドレーヌ」と書けば良かったのだ。
前半が良い。後半も悪くはないけれど、青年になってしまってはこの話は台無しの感はある。みんなが誉めそやしたせいで勉強する気を起こさずにきたために私は出来の悪い子のままで今まで来てしまったのだ、と家族を憎み泣きわめく場面が特に良い。なんと身勝手な、しかしそれだから子供なのだ、と思わなくもない。こういうある種の論理的な自己中心的態度というか、そういったのは意外に大人になっても残っているものだ。かくいう自分もこの気性が激しい方で、そうした態度を露わにすることがしょっちゅうである。しかし、大人になって慎みも覚えたので、自分の論理が可笑しいことくらいわかってもいる。そうした、内面のちぐはぐした場合の行動の滑稽さに、しばしば恥ずかしくなることもある。こうした気性は治らない、多分自分は治すつもりもない。
夏目漱石が褒めたというのは有名な話であるが、この『銀の匙』をどう読むかは少し迷う。小説、だろうか? どうもそう読めない。これはあくまで「散文」としてしか読むことのできないものだ。その「散文性」のためにこれを他の小説などと比べることができなくなってしまっている。小説を比べるなんてことはすでにナンセンスなのかもしれないが。
筋という筋のない短文の寄せ集めであるこの作品をつなげているものは何なのだろう、と考えてしまう。「銀の匙」というタイトルにある、その銀の匙は最初に登場したきりあとは姿を見せない。プルーストのプティト・マドレーヌと同様、記憶を呼び覚ますのにこんな素晴らしいものは無いのに、それを贅沢に使っている。そう、呼び覚まされた記憶。これはまさに中勘助の「失われた時を求めて」である。いや、プルーストは「失われた時を求めて」などと哲学的な詩的なタイトルにすべきではなかった。ただ、「プティト・マドレーヌ」と書けば良かったのだ。
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